人造人間戦車の機密
――金博士シリーズ・2――
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)魔都《まと》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)密使|油蹈天《ゆうとうてん》氏
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     1


 魔都《まと》上海《シャンハイ》に、夏が来た。
 だが、金博士《きんはかせ》は、汗もかかないで、しきりに大きな手押式《ておししき》の起電機《きでんき》を廻している。室内の寒暖計は、今ちょうど十三度を指している。ばかに涼《すず》しい室《へや》である。それも道理《どうり》、金博士のこの実験室は、上海の地下二百メートルのところにあり、あの小うるさい宇宙線も、完全に遮断《しゃだん》されてあるのであった。
 天井裏のブザーが、奇声《きせい》をたてて鳴った。
「ほい、また来客か。こう邪魔をされては、研究も何も出来やせん」
 博士は、例の無精髭《ぶしょうひげ》を、兎《うさぎ》の尻尾《しっぽ》のようにうごかして、天井裏を睨《にら》みつけた。
「博士、御来客です。醤買石閣下《しょうかいせきかっか》の密使《みっし》だそうです。はい、只今、X線で、身体をしらべてみましたが、何も兇器《きょうき》は所持して居りません。どういたしますか」
 姿は見えないが、声だけの秘書が、用事を取次いだ。
「何か土産《みやげ》を持っている様子か」
「なんだか、大きな風呂敷包を、背負って居ります。どうやら羊か何からしく、X線をかけると、長い脊髄骨《せきずいこつ》が見えました」
「羊の肉は、あまり感心しないが、糧食難の折柄《おりがら》じゃ、贅沢《ぜいたく》もいえまい」
「では、通しますか」
「とにかく、こっちへ通してよろしい。土産物を見た上で、話を聞くか、追払《おっぱら》うか、どっちかに決めよう」
 博士は、把手《ハンドル》から手を放すと、手をあげて、禿頭《はげあたま》をガリガリと掻《か》いた。
 醤の密使|油蹈天《ゆうとうてん》氏が、その部屋に現れたのは、それから五分ばかりたって後のことであった。
「おう。油蹈天か。お前が来るようじゃ、大した土産もないのであろう」
 博士は、密使の顔を見て、率直に落胆《らくたん》の色を現した。
「いや、博士。本日は、わが醤主席の密命を帯びてまいりましたもので、きっと博士のお気に入る珍味《ちんみ》をもってまいりました」
「羊の肉は、くさくて、嫌いじゃ。第一、羊の肉が、珍味といえるか」
「羊の肉ではございません。なら、用談より先に、これをごらんに入れましょう」
 密使は、背中に負っていた大きな包を、機械台のうえに下《おろ》した。博士は、鼻をくんくんいわせながら、傍《そば》へよってきた。
「燻製《くんせい》じゃな。いくら燻製にしても、羊特有の、あの動物園みたいな悪臭は消えるものか」
「まあ、黙って、これをごらん下さい」
 密使油が、包を派手にひろげると、中から鼠色《ねずみいろ》の大きな動物が現れた。顔を見ると、やはり鼠に似ていた。
「ほう、これは大きな鼠じゃな」
「金博士。鼠ではございません。これはカンガルーの燻製でございます」
「カンガルーの燻製?」
 博士は、目を丸くして、両手を意味なく、ぱしんぱしんと叩いた。
「さようです。カンガルーです。これは只今醤主席の隠れ……あ、むにゃむにゃ、ソノ、特別特製でございます」
「特製はわかったが、むにゃむにゃというところがよく聞えなかったし、一体これは、どこの産じゃ」
「はあ、それは御想像に委《まか》せるといたしまして、とにかく醤主席は、かような珍味を博士に伝達して、その代り、博士におねだりをして来いということでありました」
「なんじゃ、わしにねだるというと、また新発明の兵器を譲れというのじゃろう。昔の因縁《いんねん》を考えると、わしとて、譲らんでもないが、しかしあのように敗けてばかりいるのでは張合《はりあ》いがない。――で、当時《とうじ》、醤の奴は、どこにいるのか。重慶《じゅうけい》か、成都《せいと》か、それとも昆明《こんめい》か」
 博士の質問は、密使油にとって、甚《はなは》だ痛かった。当時、醤主席およびその麾下《きか》百万余名は、その重慶にも成都にも、はたまた昆明にも居なかったのである。
「は、それはわが政権の機密に属する事項《じこう》でございますから、私から申上げかねます。しかし、主席はぜひ博士の御好意によって、最近御発明になったあの……」
 といいながら、密使は一応四方八方へ気を配った上で、
「……あのう、それ、人造人間戦車《じんぞうにんげんせんしゃ》の設計図をお譲《ゆず》り願ってこいと申されました。どうぞ、ぜひに……」
「あれッ。ちょっと待て。わしが極秘にしている人造人間戦車の発明を、どうして、どこで知ったか」
「それはもう、地獄耳《じごくみみ》でございます。それを下されば、このカンガルーの燻製を置いてまいります。下さらなければ、折角《せっかく》ですが、カンガルーの燻製は、再び私が背負いまして……」
「わかったよ、もうわかった。あの醤め、わしが、珍味に目がないことを知っていて、大きなものをせびりよる。よろしい。では、その設計図をやろう。これが、そうだ。組立のときには、わしに知らせれば、行って指導してやってもいい。しかしそのときは、うんと代償物《だいしょうぶつ》を用意して置けよ」
 そういって、金博士は、大きな青写真にとった設計図を、惜《お》し気《げ》もなく密使に渡してしまったのであった。


     2


 有頂天《うちょうてん》になって、“人造人間戦車”の設計図を押し戴《いただ》いて、三拝九拝しているのは、珍らしや醤買石《しょうかいせき》であった。
 醤は、サロン一つの赤裸《あかはだか》であった。頸《くび》のところに、からからんと鳴るものがあった。それはこの土地に今大流行の、獣《けだもの》の牙《きば》を集め、穴を明けて、純綿《じゅんめん》の紐《ひも》を通した頸飾《くびかざ》りであった。醤は、このからからんという音を聞くたびに、寒山寺《かんざんじ》のさわやかなる秋の夕暮を想い出すそうである。――なにしろ、ここは、人跡《じんせき》まれなる濠洲《ごうしゅう》の砂漠の真只中《まっただなか》である。詰襟《つめえり》の服なんか、とても苦しくて、着ていられなかった。
 この砂漠に、醤|麾下《きか》の最後の百万名の手勢《てぜい》が、炎天下《えんてんか》に色あげをされつつ、粛々《しゅくしゅく》として陣を張っているのであった。
 これは余談《よだん》に亘《わた》るが、彼れ醤は、日本軍のため、重慶《じゅうけい》を追われ、成都《せいと》にいられなくなり、昆明《こんめい》ではクーデターが起り、遂に数奇《すうき》を極《きわ》めた一生をそこで終るかと思われたが、最後の手段として、某所《ぼうしょ》に於て、英国政権に泣きつき、その結果、或る交換条件により、醤およびその麾下は、海を渡り、赤道を越え、遥かにこの南半球の濠洲のサンデー砂漠地帯の一|区劃《くかく》に移駐《いちゅう》することを許された次第《しだい》であった。
 ここでは、熱砂《ねっさ》は舞い、火喰《ひく》い鳥は走り、カンガルーは飛び、先住民族たる原地人は、幅の広い鼻の下に白い骨を横に突き刺して附近に出没《しゅつぼつ》し、そのたびに、青竜刀《せいりゅうとう》がなくなったり、取っておきの老酒《ラオチュー》の甕《かめ》が姿を消したり、泣《な》き面《つら》に蜂《はち》の苦難つづきであったが、しかもなお彼は抗日精神《こうにちせいしん》に燃え、この広大なる濠洲の土の下に埋没《まいぼつ》している鉱物資源を掘り出し、重工業を旺《さか》んにし、大機械化兵団を再建してもう一度、中国大陸へ引返し、日本軍と戦いを交《まじ》えたい決意だった。それからこっちへ十年、遂にこの砂漠の一劃に、十年計画の重工業地帯が完成したのを機に、密使《みっし》油蹈天《ゆうとうてん》をはるばる上海《シャンハイ》に遣《つかわ》して、金博士の最新発明になる“人造人間戦車”の設計図を胡魔化《ごまか》しに行かせたのであった。
 今や工学士油蹈天は、大任《たいにん》を果《はた》して、めでたくこの砂漠へ帰ってきたのであった。醤の喜びは、察するに余りある次第であった。
「おい、油学士。見れば見るほどすばらしい製図ではないか」
 醤は、どう褒《ほ》めてよいか分らないから、製図の見事なところを褒めることにした。
「はい。それだけに、私の苦心の要《い》ったことと申したら、主席によろしくお察し願いたい」
「それはよろしく察して居る。褒美《ほうび》には、何をとらせようか。カンガルーの燻製はどうだ」
「いや、カンガルーは動物園のような臭《にお》いがしていけません。――いや、それはともかく、想像していた以上に、これは実に立派にひかれた製図でございますが、更にその内容に至っては、正に世界無比の強力兵器だと申してよろしいと存じます」
「それで、わしには鳥渡《ちょっと》分らんところもあるから、お前、この図について、報告せよ。一体、“人造人間戦車”とは、どんなものか」
 とにかく御大将《おんたいしょう》ともあれば、威厳《いげん》をそこなわないことには、秘術を心得て居る。
「はは。そもそも金博士の発明になる人造人間戦車とは……」
 油学士は、前後左右、それに頭の上を見渡し、砂漠の真中の一本のユーカリ樹《じゅ》の下には、主席と彼との二人の外、誰もいないことを確かめた上で、
「……人造人間戦車とは、ソノ……」
「早くいえ。気をもたせるな。褒美は、なんでも望みをかなえさせるぞ」
「はい、ありがとうございます。さて、その人造人間戦車とは、実に、人造人間にして、且つ又、戦車であるのであります」
「余《よ》には、さっぱり意味が分らん」
「つまり、ソノ金博士の申しまするには、ここに百人から成る人造人間の一隊がある」
「ふん。人造人間隊がねえ」
「この人造人間隊が、隊伍を組んで、粛々前進してまいります。お分りでしょうな」
「人造人間隊の進軍だね」
「はい。このままで放って置けば何日何時間たっても、遂に人造人間隊でございますが、必要に応じて、司令部より、極秘《ごくひ》の強力電波をさっと放射いたしますと、これがたちまち戦車となります」
「そこが、どうも難解だ。極秘の強力電波を放射すると、なぜ人造人間隊が戦車となるのか。お前の話を黙って聞いていると、まるで狐狸《こり》の類《たぐ》いが一変して嬋娟《せんけん》たる美女に化《ば》けるのと同じように聞える。まさかお前は、金博士から妖術《ようじゅつ》を教わってきたのではあるまい」
 醤主席の言葉は、油学士の自尊心を十二分に傷つけた。
「どうもそれはけしからん仰《おお》せです。かりそめにも、科学と技術とをもってお仕《つか》えする油学士であります。そんな妖術などを、誰が……」
「ぷんぷん怒るのは後にして、説明をしたがいいじゃないか。お前は、すぐ腹を立てるから、立身出世《りっしんしゅっせ》が遅いのじゃ」
 主席に、一本きめつけられ、油学士は、はっと吾れにかえったようである。
「はっ、これは恐縮《きょうしゅく》。で、その秘術は、かようでございます。只今申した極秘の電波を人造人間隊にかけますと、その人造人間隊は、たちまちソノー、主席はフットボールを御覧になったことがございますか」
「余計なごま化《か》しはゆるさん」
「ごま化しではございません。フットボール競技に於て、さっとプレーヤーが、さっとスクラムを組みますが、つまりあれと同じように、人造人間が、たちまちスクラムを組むのでございます。そしてたちまち人造人間のスクラムによって、一台の戦車が組立てられまして、こいつが、轟々《ごうごう》と人造人間製のキャタピラを響《ひび》かせて前進を始めます。いかがでございますか。これでもお気に召しませんか」


     3


 醤主席は、今や極上々《ごくじょうじょう》の大機嫌《だいきげん》であった。
 彼は、毎朝早く起きて、砂漠の下の防空壕《ぼうくうごう》を匐《は》いだすと、そこに出迎えている
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