人造人間の秘密
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)襲来《しゅうらい》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)ドイツ軍|襲来《しゅうらい》
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ドイツ軍|襲来《しゅうらい》
「おい、起きろ。ドイツ軍だ!」
隣室《りんしつ》のハンスのこえである。部屋の扉は、いまにも叩き割られそうである。
私は、自分でも、なんだかわけのわからない奇声《きせい》を発して、とび起きた。
扉は、めりめりと、こわれはじめた。
「もしもし、今、扉を叩きこわしていられるのは、ドイツ軍のお方ですか」
私は、いそいでズボンをはきながら、入口の方へ、こえをかけた。
「おどけたことをいうな。この際に、ひとをからかうもんじゃない」
ハンスは、扉をこわすのをやめて、裂け目の向こうで、ふうふう一と息をついている。夜光時計《やこうどけい》をみると、ちょうど午前三時であった。
「おい、ハンス。これから、どうするつもりか」
「すぐフランス国境へ逃げださないと、もう間にあわないぞ、手取《てっと》り早く、用意をしろ。――おい、早くここをあけないか」
「なんだ。あんなに大きな音をたてながら、まだ扉はあいてないのか」
「よけいなことは、一口もいうな」
ハンスは怒っている。
私は、ちゃんと服を着てしまったので、扉の鍵に手をかけた。
とたんに、それがきっかけでもあるかのように、戸外で、だだだだだン、だだだだンと、はげしい銃声がきこえた。
「あっ、機関銃の音だ! さては、市街戦が始まったんだな」
鍵をまわすのと、ハンスが室内へころげこんでくるのと、同時だった。
「今のを聞いたか。ドイツの落下傘《パラシュート》部隊だ!」
「えっ、そんなものが、やってきたか」
私は、ドイツ軍の大胆さと徹底ぶりとから、大きな感動をうけた。
「おい、千吉《せんきち》。早くしろ、早くしろ。例のものを、持ち出すんだ」
「例のもの?」
「ほら、例のものだ。モール博士から預けられた例の密封《みっぷう》した二本の黒い筒《つつ》を持ちだすのだ」
「うん、あれか。あんなものを持って逃げなければならないか」
「もちろんだ。われわれ二人の門下生は、特に博士から頼まれてるのだ。博士の信頼をうら切ってはならない」
モール博士というのは、このベルギー国のモール科学研究所の所長で、私もハンスも、この門下生だった。博士は、ちょうどドイツ軍がオランダに侵入したことが放送された直後、われわれ二人をよんで、その二つの黒い筒を預けたのだった。
――非常の際には、君たちは、何をおいても、これを一本ずつ背負って逃げてくれ。そして世界大戦が鎮《しず》まって、わしが再び世にあらわれるまでは、それを各自が、ちゃんと保管していてくれ。もちろん、その密封を破ることはならない。もし、万一この筒を捨てなければならないときが来たら、底のところから出ている導火線に火をつけるんだ。だが、いよいよもういけないというときでなければ、火をつけてはならない。わかったね。――
モール博士は、長さ三十センチほどの、なんの印もついていない黒い筒を二本、二人の前に並べたのであった。
――博士、一体この筒の中には、なにが入っているのですか。いや、もちろん、それは秘密なんでしょうが、お預りする以上、その中身のことがいくらか解っていないと、保管するにしても、持ちはこぶにしても、用心の仕方がありますからね――
と、これは、私がいったのである。すると博士は、怒ったような顔になって、しばらく呻《うな》っていたが、やがて強《し》いて自分の気分をほぐすように、広い額をとんとんと叩き、
――なるほど、そういわれると、君たちのいうことは尤《もっと》もだとおもう。ではいうが、これは絶対に他人に洩らしてはならない。じつはこの二本の黒い筒の中には、わしが生命をかけて完成した或る兵――いや、或る器械の研究論文が入っているのだ。ここへ書いて置いては、焼けてしまうか、失ってしまうかだ。だから、君たち二人に委《まか》して、いざというときには、持ってにげてもらおうとおもう。殊《こと》に、これがドイツ側の手にわたることを、わしは、極端にきらいかつ恐れる。そういうことがあれば、天地が、ひっくりかえる。すべてがおしまいになる!
博士は、蒼《あお》い顔をしていった。
――博士。なぜドイツ側の手に入ると、万事《ばんじ》がおしまいになるのですか。一体、どんなことが起るのですか――
と、私は、博士のおもっていることを、もっとはっきりしたいと考え、追窮《ついきゅう》した。
――それ以上、いえない。なんといっても、いえない。――
そういったきり、博士は、頑《がん》として、そのあとのことを喋《しゃべ》ろうとはしなかったのだ。
ぐわーン。がらがらがらがら。
家が、大地震のように鳴動《めいどう》した。迫撃砲弾《はくげきほうだん》が、この建物に命中したらしい。もう猶予《ゆうよ》はならない。
「おい、ハンス。もう駄目だ。逃げよう」
と、私は友を呼んだが、そのときハンスは、黒い筒の一本を抱えたまま、ものもいわず、二階の窓から外へとびおりた。
ニーナのこえ
それ以来、私はハンスと、別れ別れになってしまった。
私も、自分に預けられた一本の黒い筒を小わきにかかえて、階段を下り、裏口から戸外にとびだした。そのときは、空はまっくらであったが、銃声と反対の方へ逃げだして、五分ぐらいたって、後をふりかえると、私たちのすんでいた町は、三ヶ所からはげしい火の手が起っていた。
砲声は、しきりに、夜の天地をふるわせている。気がつくと、頭上を、曳光弾《えいこうだん》が、ひゅーンと、気味のわるい音をたてながら、通り越して行く。しかもこれから私が逃げようという方角へ、その曳光弾《えいこうだん》はとんでいきつつあることを知ると、さすがの私も、足がすくんでしまうように感じた。
「これは、いけない。ぐずぐずしていると、ドイツ兵にみつかってしまうぞ」
日本人である私が、ドイツ兵に見つかっても、友邦《ゆうほう》のよしみをもって、大したことがないらしくおもわれるであろうが、今の私の場合は、そうはいかなかった。というのは、当時私たち日本人は、ことごとく、ベルギー国から引揚げてしまったことになっていたのだ。私は、或る事情のため、極秘にこの土地にのこっていたのだ。だから、もしドイツ兵に見つかれば、有無《うむ》をいわさず、敵性《てきせい》ある市民、あるいはスパイとして殺されてしまうであろう。殊《こと》にモール博士から託《たく》されたこの黒い筒などをもっていることなどが発見されれば、さらにいいことはない。
「困った。これは、うまく逃げられそうもなくなったぞ」
私は、乾いて、やけつくような咽喉の痛みを感じながら、ぜいぜい息を切って、雑草に蔽《おお》われた間道《かんどう》を走った。走ったというよりは、匐《は》いながら駈《か》けだしたのであった。頼む目標は、イルシ段丘《だんきゅう》のうえに点《とも》っている航空灯台が、只一つの目当てだった。その夜、イルシ段丘の灯火が、ドイツ軍の侵入をむかえて、いつものとおり消灯もされずに点《つ》いていたことは、全くふしぎなことでもあった。だが、そのとき私は、こう思った。
「ふん、ドイツ軍のスパイがやった仕事だな。それにちがいない」
私は、それ以上、うたがいもせずに、どんどんと、灯台の灯を目がけて、前進した。足をとられてごろんごろんと転《ころ》がること数十回、数百回。これでも[#「これでも」はママ]私は、すぐ跳《は》ねおきて、イルシ航空灯台の灯を目あてに、次の前進をつづけるのだった。
こうして、くるしい前進をつづけ、時間は、はっきり分らないが、約一時間以上かかって、私はようやく、上り坂になった段丘にたどりついたのであった。
砲声や銃声は、ひっきりなしに、鼓膜《こまく》をうち、脚にひびいてくるが、幸いにも、この段丘附近は、しずまりかえっていた。私は、ほっと、息をついた。ここまで来て、どうやら、戦闘の渦の中から、うまく外《はず》れることができたように感じたからである。私は、にわかに、たえ切れないほどの疲労をおぼえて、そのまま段丘の斜面《しゃめん》に、うつ伏《ぶ》してしまった。
それから、どれほどの時間が流れたのか、私は、全くおぼえていない。
私は、しきりに、算術の問題をとこうとして、くるしんでいる夢をみていた。
そのとき、私は、誰かに呼ばれているような気がした。
「千吉、千吉!」
ほう、私の名を呼んでいる。
(誰? お母アさん!)
「千吉、千吉!」
私は、はっと正気《しょうき》に戻った。
「千吉、千吉!」
私は、その場に、とび起きようとした。
「し、静かにして……」
その声が、私の耳もとに、ささやいた。そして、私の両肩は、下におしつけられたのであった。
電灯が、点《つ》いている。そして私は、ふんわりした藁《わら》のうえに寝ている。
「おや。君は、ニーナじゃないか」
私は、目をみはった。私の傍《そば》についていたのは、ニーナといって、私たちの住んでいたアパートの娘だった。彼女は、小学校の六年生だった。私は、ふしぎな気持になった。私は、ドイツ軍の侵入の夢をみながら、アバートで睡《ねむ》っていたのではなかろうか。
いや、違う。アパートには、こんな妙な室はなかった。ここの部屋ときたら、まるで工場の物置みたいである。
「あたし、ニーナよ。でも、千吉、うまく気がついてくれて、よかったわね。あたし、千吉はもう、死んでしまうのかと思ったのよ。だって、あたしが見つけたときは、千吉は、青い顔をして倒れているし、上衣は血まみれだし、シャツの腕からは、傷口が見えるし……」
「傷?」
私は、そのとき始めて、脈をうつたびに、左腕がずきんずきんと痛むのに気がついた。
「あっ、左腕をやられていたのか」
腕には、誰がしてくれたのか、ちゃんと繃帯《ほうたい》がまいてあった。
そのとき私は、たいへんなことを思いだした。左手でわきの下に、しっかり抱《かか》えていた例の黒い筒は、どうしたのだろう。どこへいってしまったのだろうか。
怪《あや》しい設計図
私が、きょろきょろとあたりを見廻すものだから、ニーナはそれと気がついたらしい。
「どうしたの、千吉」
「大切な品物だ。私は黒い筒《つつ》をもっていたんだが、ニーナはそれを見なかったかね」
ニーナは、にっこり笑った。
「黒い筒ならちゃんとあるわ」
「どこに?」
「千吉の寝ている藁《わら》の下にあるわ」
「えっ、ほんとうか」
私は、むりやりに起きあがった。そして藁の下に手をいれようとしたが、左腕を傷ついている私には、ちと無理だった。ニーナは、それをみると、自分の手を入れて、黒い筒を引張《ひっぱ》りだした。
「これでしょう?」
私は、うれしかった。正《まさ》しく、それは、モール博士から預かった黒い筒だった。私は、それを右手にとって、筒をよく改めてみた。ところが、私は、筒のうえに、異変のあるのを発見しておどろいた。
「あっ、開けてある。誰が、この筒を開けたのだろう」
その筒のうえに、厳重に封をしてあったのに、その封緘《ふうかん》が二つにひきさかれ、そして筒には開いたあとがついている。
私は、ニーナをにらんだ。
「ニーナ。君だね、これを開けたのは」
ニーナは、首を左右にふった。
「でも、君でなければ、誰がこれを開くのだろうか」
そういいながらも、私は、筒の中にどんなものが入っているか、それを早く見たくて、ならなかった。だから私は筒の一方を、両脚《りょうあし》の間に挟《はさ》むと、他方の端《はし》を右手にもって、引張った。
筒は、苦もなく、すぽんと音がして、開いた。私は、胸をおどらせながら、筒の中をのぞきこんだ。
すると、筒の中には、十五六枚の紙が、重ねられたまま巻いて入っていた。私は、早速《さっそく》これを引張りだして、ひろげてみた。
青写真だった。こまかく描いた、
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