「ここはね、たいへんなところなのよ」
 と、ニーナは、うつくしい眼を大きくひらいて、ぐるっと、あたりをみまわし、
「ここはね、ドイツ軍に属する秘密の、地下工場なのよ」
「ええっ!」
 私は、やっぱり、びっくりしてしまった。

   地下工場《ちかこうじょう》の捕虜《ほりょ》

 まさか私は、ドイツ軍に属する秘密の地下工場の中にいようとは、気がつかなかった。
 なぜ私は、そんな工場の中に、かつぎこまれたのであろう。わからない、全くわからない謎だ。
 だが、その謎は、ニーナが、といてくれた。ここは、同じくベルギーの国内であって、ベン隧道《トンネル》の中であるそうな。ベン隧道というのは、ベン山腹の下を、くりぬいていて、そこを通る電車は、国境線の内側三十マイルの線にそって走っているが、五年前に出来、あまり乗客のない郊外電車であった。ドイツは、そのベン隧道の下に、ひそかに、地下工場を作ってあったのだ。そもそも、あまり乗客のないベン鉄道を作ったのも、ドイツの国防計画の一つであったかもしれない。
 そういえば、このベン隧道について、へんな噂をきいたこともあった。なんでもそれは、ベン隧道の怪談という風にいいふらされたが、たとえば、こんなことがあったというのだ。私たちのいた街の方から、ベン隧道の中に、十本の貨物列車が入っていくのを数えた人があるのに、隧道を出た向こうの踏切番は、いや十本の貨物列車なんて、うそだ。八本だといって、きかないのであった。二本の貨物列車は、どこへ行ってしまったか、姿も影もないのだ。そこで幽霊貨物列車の怪談がうまれ、この鉄道は、いよいよ乗客の数が減っていったのであった。今にして思えば、その二本の貨物列車こそは、ベン隧道の下に、地下工場をつくる材料をうんと積んで、地下へもぐりこんでしまったのであろう。おどろくべきドイツ軍の計画であった。いわゆる第五列の人々が、この地下工事にたずさわり、そして今も、その第五列の人々が、工場内で働いているのではなかろうか。
「私は、イルシ段丘《だんきゅう》の灯台の灯を目あてに、どんどん歩いて行ったんだがねえ。今からしてベン隧道の中にいるとは、だいぶん方角がちがったものだ」
 というと、ニーナは首をふって、
「昨夜、町から見えた灯は、イルシ段丘の灯台の灯ではないのよ。このベン隧道のうえに点《つ》いていた灯よ」
「だって、ベン隧道のうえに、灯が点く設備があるなどということを、きいたことがない」
「わかっているじゃありませんか。このベン隧道の下には、どこに国の人々が働いているかを考えれば……」
 ニーナは、なまいきな口をきく。やっぱり、ドイツ軍に属する第五列のスパイの手によって、昨夜、ベン隧道のうえに、あのまぎらわしい灯火《とうか》が点けられ、そして私は、まんまとそれにあざむかれて、こっちへまよいこんだのであろう。
「で、私は、だれに、助けられたのかね。君かね、ニーナ」
「あたしじゃないわ」
「じゃあ、誰?」
「フリッツ大尉《たいい》よ」
「フリッツ大尉って、誰だい」
 そういっているところへ、うしろの扉が、ぎいーッと開いた。
「あ、フリッツ大尉よ」
 ニーナが、私の横腹《よこばら》をついた。私は、フリッツ大尉の、いかめしい軍服姿に、すっかり気をうばわれてしまった。
「おう、どうだ、君の傷のいたみは?」
「ええ、大して痛みません」
「そうか、痛みだしたら、またいいたまえ。注射をうってあげよう」
 フリッツ大尉が、傷の手あてのことまで、やってくれたものらしい。
「ところで、君は、何国人《なにこくじん》かね。ニーナには、よく分らないらしい」
「中、中国人です。センという姓です」
 私は、うそをいった。
「なんだ、中国人か。ふふん、やっぱり中国人だったか」
 と、フリッツ大尉は、失望したような口ぶりだった。
「おい、セン。お前は、モール博士と知り合いなのか」
「いいえ、知りませんなあ、モール博士などという人は」
 私は、つづいて、うそをいった。身の安全のためには、博士との関係をいわない方がいいと思ったからだ。なぜといって、博士は、あれほどドイツおよびドイツ軍をきらっていたから。
「じゃ聞くが、あの黒い筒は、どうしたのか。お前の持っていた筒のことだよ」
 フリッツ大尉は、私を睨《にら》みすえるように、いった。
(ははあ、大尉が、筒をあけて、あの中身を、写真にとってしまったんだな)
 と、私は、はじめて知った。
「あの筒は、拾ったものです。なんだか、いいものが入っているように思ったので、持っていたのです」
 私は、またもや、うそをいった。そういうより、仕方がないではないか。
「ふふん。まあ、そうしておいてもいいと……」
 が、フリッツ大尉は、拳《こぶし》で、自分の背中をとんとんと叩《たた》きながら、
「とにか
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