たった一軒の駐在所が、国道に面して建てられてあった。宿直の若い警官は伝説の西風に吹かれながら怪失踪事件のことを考えていた。この事件は例の伝説と共に、県の検察当局へ報告されたのであるが、そのうち誰か適当な人物を派遣するという返事がきたきりで、あとは人も指令も来なかった。全く相手にされない形だった。これが直ぐ死骸が出てくるとか、血痕が発見されるとかであれば、大騒ぎとなるのであろうが、地味な失踪事件に終っているために、犠牲者が六人出ても、何にも相手にされないのだと思うと、彼は庄内村の駐在所が大いに馬鹿にされていることに憤慨《ふんがい》せずにはいられなかった。今夜こそ、もし何かあったら、それこそ彼は全身の勇を奮《ふる》って、西風に乗ってくる妖魔《ようま》と闘うつもりだった。
丁度午後十一時半を打ったときに交番の前を、工夫体の一人の男がトコトコと来かかった。彼の男は、立番の巡査の姿を認めると足早やにスタスタと通りすぎようとした。
「コラ、待てッ――」
と巡査は叫んで、怪漢めがけて駆けだした。
長身の痩せ型の男は、巡査の大喝《たいかつ》を聞くと、そのまま足を停めた。そして難なく腕を捕えられてしまった。
「お前は今ごろ何処へゆくのか。ちょっと交番まで一緒に来い」
男は素直に腕を取られたまま、駐在所の方へ引張られた。巡査は帽子の下から光る一癖ありげな怪漢の眼から視線を外《はず》さなかった。しかし駐在所の灯の所まで引いてきたときには、腰を抜かさんばかりに駭《おどろ》いた。
血! 血!
怪漢の帽子といわず、襟《えり》をたてたレンコートの肩先といわず、それから怪漢の顔にまで夥《おびただ》しい血糊《ちのり》が飛んでいた。大した獲物だった。
「神妙にしろッ。この人殺し奴!」
腕力に秀でた巡査は、怪漢の手を逆にねじあげると、忽《たちま》ち捕縄《ほじょう》をかけてしまった。
「乱暴をするな、なぜ縛るんだ」
と怪漢は眉をピリピリ動かして云った。
「白っぱくれるな。なぜ縛られるんだか、云うよりも見るが早いだろう」
そういった巡査は、壁の鏡を外すと、見えるようにその怪漢の前に差出した。怪漢はハッと顔色をかえて、唇を噛んだ。
大獲物だった。西風の夜のこの獲物は、鴨《かも》が葱《ねぎ》を背負ってきたようなものだった。うっかり居睡《いねむ》りでもしていようものなら、逃げられてしまう筈《は
前へ
次へ
全19ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング