人間灰
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)右足湖畔《うそくこはん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)博士夫人|珠江子《たまえこ》という
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)青谷技師以外の[#「以外の」は底本では「意外の」]者
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赤沢博士の経営する空気工場は海抜一千三百メートルの高原にある右足湖畔《うそくこはん》に建っていた。この空気工場では、三年ほどの間に雇人《やといにん》がつぎつぎに六人も、奇怪なる失踪《しっそう》をした。そして今に至るも、誰一人として帰って来なかった。
ずいぶん永いことになるので、多分もう誰も生きていないだろうと云われているが、ここに一つの不思議な噂があった。それは彼の雇人が失踪する日には、必ず強い西風が吹くというのである、だから雇人たちは、西風を極度に恐れた。
丁度この話の始まる日も、晩秋の高原一帯に風速十メートル内外の大西風が吹き始めたから、雇人たちは、素破《すわ》こそとばかり、恐怖の色を浮べた。夜になると、彼等は後始末もそこそこに、一団ずつになって工場を飛び出した。彼等はこんな晩、工場内の宿舎に帰って蒲団《ふとん》を被《かぶ》って寝る方が恐ろしかった。皆云いあわせたように、隣り村の居酒屋へ、夜明かしの酒宴《さかもり》にでかけていった。
後に残されたのは、工場主の赤沢博士と、青谷二郎《あおやじろう》という青年技師と、それから二人の門衛だけになった。その外に、構内別館――そこは赤沢博士の住居になっていた――に博士夫人|珠江子《たまえこ》という、博士とは父娘《おやこ》にしかみえぬ若作り婦人がたった一人閉じ籠っていた。
青谷技師も午後八時にはいつものように、トラックを運転して帰っていった。赤沢博士の自室には、まだ永く灯りがついていた。しかし十時半になると、その灯りも消えて、本館の方は全く暗闇の中に沈んでしまった。門衛も小屋の中に引込《ひきこ》んでしまい、あとは西風がわが者顔に、不気味な音をたてて硝子《ガラス》戸や柵を揺すぶっていた。湖畔の悪魔は、西風に乗って、また帰ってきたのであろうか。
その夜も余程更けた。
この空気工場から国道を西へ一キロメートルばかり行ったところに、例の庄内村《しょうないむら》というのがある。そこには村で
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