ことになり、いわば博士の公式な第一試術患者となったわけで、また一面において柿丘の病状は第三期に近く右肺の第一葉をすっかり蝕《むしば》まれ、その下部にある第二葉の半分ばかりを結核菌に喰いあらされているところだったので、若《も》しもう一と月、博士の門をくぐるのが遅かったとすると、流石《さすが》の博士もその回春《かいしゅん》について責任がもてなかったのだった。
 ここに一寸だけ、柿丘秋郎の輪廓《りんかく》を読者に示さねばならぬ羽目になったけれど、柿丘秋郎は彼の郷里の岡山《おかやま》に、親譲りの莫大《ばくだい》な資産をもち、彼の社会的名声は、社会教育家として、はたまた宗教家として、年少ながら錚々《そうそう》たるものがあり、殊《こと》に青年男女間に於ては、湧きかえるような人気がある人物だった。ちょうど病気に倒れる直前には、その宗教団体の選挙があって、彼は猛然なる運動の結果、その弱年にも拘《かかわ》らず、非常に重要な地位に就《つ》いた。凡《およ》そ宗教家とか社会教育家というものほど、奇怪な存在は無いのであって、彼等のうちで、真に神に仕《つか》え世の罪人を救うがためにおのれの一命をも喜んで犠牲にしよ
前へ 次へ
全42ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング