でなくとも、どのような男だって、雪子夫人のような女に出遭《であ》うと、立《た》ち竦《すく》みでもしたかのように彼女から遠のくことが出来なくなるだろう。だが柿丘秋郎を永らく、雪子夫人の肉体への衝動を起させることなしに救っていたものは、実に柿丘秋郎にとって彼女は、恩人の令夫人だったからである。
僕は柿丘秋郎の奇怪な実験について述べると云って置きながら、あまりに永い前置きをするのを、読者はもどかしく思われるかも知れないが、実はこれから述べるところの、一見平凡な事実が、後に至って此の僕の手記の一番大事な部分をなすものなのであるからして、そのお心算《つもり》で御読みねがいたい。
さて、柿丘秋郎が恩人とあがめるという、いわゆる牝豚《めぶた》夫人の夫君は、医学博士|白石右策《しらいしうさく》氏だった。白石博士は、湘南《しょうなん》に大きいサナトリューム療院を持つ有名な呼吸器病の大家だった。一般にサナトリューム療院といえば、極《ご》く軽症《けいしょう》の肺病患者ばかりに入院を許し、第二期とか第三期とかに入ったやや重症の患者に対しては、この療法が適しないという巧みな口実を設けて、体《てい》よく医者の
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