たすことなく、二日後に長逝《ちょうせい》してしまった。ここに泪《なみだ》なくしては眺めることの出来ないものがある。それは、二十年の春を、つい此の間迎えたばかりの呉子さんが、早や墨染《すみぞめ》の未亡人という形式に葬《ほうむ》られて、来る日来る夜を、寂滅《じゃくめつ》と長恨《ちょうこん》とに、止め度もない泪《なみだ》を絞《しぼ》らねばならなかったことだった。
 身寄りのすくない呉子さんに、何くれとなく力添《ちからぞ》えをすることの出来るのは、僕一人だった。白石博士も、雪子夫人も急によそよそしくなって、極《ご》く稀《まれ》にしか、呉子さんの許を訪ねて来はしなかった。僕は、亡き友人柿丘になり代って、いや柿丘のなし得たその幾層倍の忠実さをもって、呉子さんを慰《なぐさ》めたのだった。呉子さんも、僕を亡き良人《おっと》の兄弟同様の人物として、何事につけ僕を頼り、たとえば遺産相続のことまでも、すこしも秘密にすることなく、僕に相談をかけるという有様だった。呉子さんと僕との心が、いつとは無しに相寄《あいよ》って行ったのは、誰にも肯《き》いて貰えることだろうと思う。
 柿丘の死後二ヶ月経った晩秋《ばんしゅ
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