ことの出来ないような複雑な表情をして、ワナワナとその場にうち震《ふる》えていた。
バタンと、荒っぽく便所の扉のしまる音がして、雪子夫人がヨロヨロと立ち現れた。その面色《かおいろ》は蒼白《そうはく》で、唇は紫色だった。ひょいと見ると夫人は右手に何かをぶら下げているのだった。
「秋郎さん」夫人の空虚《うつろ》な声が呼びかけた。
「……」
「あなたの祈りは、とうとう聞きいれられたのよ。あたしたちの可愛いい坊やは――ホラあなたにも会わせたげるわ」
ピシャリと、柿丘の頬に、生《な》まぬるいものが当ると、耳のうしろを掠《かす》めて、手帛《ハンカチ》らしい一|掴《つかみ》ほどのものがパッと飜《ひるがえ》って落ちた。
「吁《あ》ッ――」と声をあげて、柿丘は頬っぺたを平手で拭《ぬぐ》ったが、反射的に、その生まぬるいものの付着した掌《て》を、グッと顔の前にさしだした。うわッ、血だ、血、血、ぬらぬらとした真紅な血塊《けっかい》だった。
柿丘はその場に崩れるように膝を折って倒れると、意識を失ってしまった。
どの位、時間が経ったのか。彼が再び気がついたときには室内に白石夫人の姿は最早見えなかった。
(兎
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