《と》に角《かく》、うまく行った。真逆《まさか》、なにがなんでも、音響振動で夫人に堕胎をさせたとは、気がつくまい。胎児さえ流れてしまえば、もうこちらのものだ。おい柿丘、お前の勝利だぞ。一つ大きい声で愉快に笑え!)
そう自分の心を激励したものの、声を出そうとしても、胸が抑えつけられるようで、思うようにはならなかった。気がつくと、咽喉の下あたりと思われるあたりに、何か南瓜《かぼちゃ》のようなものが閊《つか》えるようで、気持がわるかった。そいつを吐こうと思って、顎《あご》をグッと前に伸ばす途端《とたん》に、咽喉の奥が急にむずがゆくなってエヘンと咳《せ》いたらば、ドッと温いものが膝頭《ひざがしら》の前にとび出してきた。
「こいつは、失敗《しま》った!」
柿丘秋郎には、普通の眼には見えない胸の奥底《おくそこ》がハッキリ見えた。そのうちにも、あとからあとへと激しい咳《せき》に襲われそのたびにドッドッと、鮮血《せんけつ》を吐き散らした。柿丘の前の血溜《ちたま》りは、見る見るうちに二倍になり三倍になりして拡《ひろま》って行った。それとともに、なんとも云えない忌《い》やな、だるい気持に襲われてきた。すると、全身がガタガタと震えだして、いくら腕を抑《おさ》えつけても、已《や》むということなく、終《つい》には、実験室全体が大地震《おおじしん》になったかのように、グラグラ振動をはじめたと錯覚《さっかく》をおこした。灼《や》けつくような高熱が、全身から噴《ふ》きだした。
「奔馬性結核《ほんませいけっかく》!」
彼は床の上に転倒しながら、ハッキリ彼自身の急変を云いあてたのだった。
4
吾が柿丘秋郎は、なんという不運な男であったことだろう!
折角《せっかく》苦心に苦心を重ねた牝豚夫人の堕胎術には成功したのだったが、その夜彼は突如として大喀血《だいかっけつ》に襲われ、急に四十度を超える高熱にとりつかれて床についてしまった。彼の意識は、もうかなり朦朧《もうろう》としてしまったが、吸入の酸素瓦斯《さんそガス》を、もっと強く出してくれるようにということと、どんなことがあっても主治医である白石博士を呼んではならないということを、家人に要求したのだった。何故に名医白石博士を謝絶したのであるか。生命をかけてまで、排撃《はいげき》したのであるか。
それについて、柿丘は遂に言葉をつぎたすことなく、二日後に長逝《ちょうせい》してしまった。ここに泪《なみだ》なくしては眺めることの出来ないものがある。それは、二十年の春を、つい此の間迎えたばかりの呉子さんが、早や墨染《すみぞめ》の未亡人という形式に葬《ほうむ》られて、来る日来る夜を、寂滅《じゃくめつ》と長恨《ちょうこん》とに、止め度もない泪《なみだ》を絞《しぼ》らねばならなかったことだった。
身寄りのすくない呉子さんに、何くれとなく力添《ちからぞ》えをすることの出来るのは、僕一人だった。白石博士も、雪子夫人も急によそよそしくなって、極《ご》く稀《まれ》にしか、呉子さんの許を訪ねて来はしなかった。僕は、亡き友人柿丘になり代って、いや柿丘のなし得たその幾層倍の忠実さをもって、呉子さんを慰《なぐさ》めたのだった。呉子さんも、僕を亡き良人《おっと》の兄弟同様の人物として、何事につけ僕を頼り、たとえば遺産相続のことまでも、すこしも秘密にすることなく、僕に相談をかけるという有様だった。呉子さんと僕との心が、いつとは無しに相寄《あいよ》って行ったのは、誰にも肯《き》いて貰えることだろうと思う。
柿丘の死後二ヶ月経った晩秋《ばんしゅう》の或る朝、僕はその日を限って、呉子さんの口から、或る喜ばしい誓約をうけることになっているのを思い浮かべながら、新調の三つ揃いの背広を縁側《えんがわ》にもち出し、早くこれに手をとおして、午後といわず、直ちに唯今から、呉子さんを麻布《あざぶ》の自邸に訪問しようと考えた。
僕は、帯をほどいて衣服をうしろにかなぐり捨てると、猿股《さるまた》一枚になって、うららかな太陽の光のあたる縁側にとび出し、、ほの温い輻射熱《ふくしゃねつ》を背中一杯にうけて、ウーンと深い呼吸をして、瞼《まぶた》をとじた。
「町田狂太《まちだきょうた》さん」
不意に、庭の方から人の近づく気配がした。眼を眩《まぶ》しく開くと、三十あまりの若い青年紳士が、こちらを向いてニコヤカに笑いながら、吾が名を呼びかけた。
「僕は町田ですけれど、貴方《あなた》は、どなたでしたかね」
僕も、ついつい笑いに誘《さそ》われて、朗《ほがら》かに云ってのけた。
「ちょいとお話を伺《うかが》いたいことがあるんですが……。僕は、こういう者なんでして」
そう云って青年紳士は、一葉《いちよう》の名刺をさしだした。とりあげて読んでみると、
「私立探
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