偵 帆村荘六《ほむらそうろく》」
 こんな名刺なんか、破いて捨てちまえだと思った。しかしそんなことは色にも出さず僕は云った。
「どんな御用か存じませんが、まアお掛けなさい。一寸着物を着ますから……」
 そう云って僕は、着物のある奥座敷の方へ、とび込もうとすると、
「いや、動くと、一発。横《よこ》ッ腹《ぱら》へ、お見舞い申しますぞ」青年は、おちついて云った。
 ふりかえってみると、青年紳士の右手にはキラリと、ブローニングが光っているのだった。
 僕は、裸のままで、新調の洋服をソッと傍へのけると、縁側《えんがわ》に腰を下ろした。
「もう、お覚悟はついたことでしょうが、柿丘秋郎殺害犯人として、貴方《あなた》を捕縛《ほばく》します。令状は、ここにちゃんとあります」
 帆村と名乗る私立探偵は、白い紙きれを、僕の方に押しやった。
「莫迦なことを云っちゃいかん」
 と、僕は云った。
「柿丘は僕の親友でもあり、兄弟同様の仲なんだ。怪しい人物は、彼をめぐる女性たちそれから藪医者《やぶいしゃ》なんか、沢山あるじゃないか」
「そんなことは、貴方のお指図《さしず》をうけません。知りたければ云ったげますが、僕は柿丘夫人から依頼をうけて、もう一と月あまり、あらゆる捜査をやってきたんです。この期《ご》に及んで、そうじたばたすることは、貴方の虚名《きょめい》を汚《けが》すばっかりですよ。神妙になさい。
 貴方は、音響振動によって、婦人の堕胎《だたい》をはかったり、結核患者の病巣《びょうそう》にある空洞《くうどう》を、音響振動を使って、見事に破壊し、結核病を再発させるばかりか、その一命を断《た》とうという恐ろしい企《くわだ》てをした人なんです。しかも、柿丘氏には、すこしもそんな話をせずに、夫人を堕胎《だたい》させることばかりに注意力を向け、おのれの空洞《くうどう》が激しい振動をおこして、結締織《けったいしき》を破壊させ、自分の生命を断ってしまうなどということを一向に注意してやらなかったのです。無論、すべては、物理教師だった貴方の悪知恵だったのです。貴方はそのことを、巧みに隠していましたね。
 貴方は、柿丘氏死亡の責任を、主治医の白石博士に向けるように故意にさまざまの策動をしたり、博士夫人が痴情《ちじょう》関係から加害でもしたかのように仕むけました。
 だが、すべては私達商売人にとって、あまりに幼稚なお膳立てでした。
 それに貴方は、一つの重要な失策をしている。貴方は、細心《さいしん》の注意を払ったにも係《かかわ》らず、柿丘氏の日記帳を処分することを忘れていた。或いは、貴方はこの日記帳を読んだことはあるのだが、柿丘氏が、あのことについては、ほんのちょっぴりも日記帳に記述をさけているのを見て、すっかり安心されたのかも知れませんね。
 だが、この私は、重大な一行を見遁《みのが》しはしなかった。それは、柿丘氏が今年の秋の始めに、日×生命の保険医の宅で、正面からと側面からとの、二枚のレントゲン写真を撮ったという記事だったのです。
 レントゲン写真は、正面又は背面から撮影するものであって、けっして側面からうつすようなものじゃない。そこを私は、不審に思ったのです。それから私は、日×生命の保険医を訪ねて、いろいろと絞った揚句《あげく》、貴方があの保険会社の外交員と、保険医とをうまく買収して、あの奇抜なレントゲン写真をとらせ、その種板を持ってゆかれたことを知りましてねえ、町田狂太さん、貴方は、正面と横とから、柿丘氏の右胸部にある大きい空洞《くうどう》の体積を、精《くわ》しく計算なすったのでしたね。その結果、なんと皮肉なことにも、柿丘氏の結核空洞は、白石博士夫人の子宮腔《しきゅうこう》の大きさと、ほぼ等しい大きさをなして居ることを発見したのです。
 一石にして二鳥、なんにも知らぬ柿丘氏の手を借りて、その人を自滅させると同時に、その美しい呉子夫人を己《おの》が手に収めようとした貴方だったのです。敏感《びんかん》なる夫人は、健気《けなげ》にも、みずから進んで貴方の懐中《ふところ》に飛びこみ、或る程度の確信を得られると、早速《さっそく》私に真相を探求してもらいたいという御依頼があったのです。
 さて、貴方の買収された保険外交員と保険医とは、私と一緒について、この垣の向うに控《ひか》えて居ります。もし久濶《きゅうかつ》を叙《じょ》したいお思召《ぼしめ》しがあるなら、早速《さっそく》御《お》ひき合《あ》わせしようと思いますが、如何でしょうか。
 その間に私は家宅捜査をさせて頂いて、振動魔《しんどうま》の貴方が、計算せられた紙ぎれや、また柿丘氏には不合格になったと思わせた生命保険に、貴方が莫大《ばくだい》な保険金を契約して、柿丘氏を殺したあとで巨額の死亡支払金を詐取《さしゅ》したその証拠書類
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