した上で、手でもってその缶を握って振動を止めるのである。そのとき耳を澄ませて聴くならばいま叩いた缶は手でおさえて振動をとどめたにも拘《かかわ》らず、それと同じような音色《ねいろ》[#「音色」は底本では「音音」]の音が、かなり強くきこえるではないか。はて、その音は、何処で鳴っているのだろうか。
 よく気をつけてみるなれば、あとから糸をつけて釣《つ》るした叩きもしないドロップの缶が、自然にグワーンと鳴っているのである。これを共鳴現象《きょうめいげんしょう》というが、二つある振動体が同じ振動数をもっているときには、一方を叩くと振動が空中をつたわって他のものを刺戟することとなる。その刺戟がもともと同じ性質の刺戟だもんで、棒で叩かれたと同じ効果《ききめ》をうけ、そいつも鳴り出すのだ。ちょっと考えると、それは一方が鳴ると、それについて自然に応《こた》えるかのように鳴り始めるようにみえるのだ。若《も》し、別にそっと釣して置いた振動体が寸法のちがうものであっては効果《ききめ》がない。例えば大きい缶詰の空《あ》いたものなんかでは駄目である。つまり振動数が同じでないものでは駄目である。
 あとは釣るした缶に、飯粒《めしつぶ》かなんかを、ちょっと付着させた上で、もう一度始めに釣した缶をグワーンと、ひっぱたいてみると、あとから釣るした缶がたちまち振動して鳴りだすのは勿論のことであるが、見て居ると、缶《かん》の壁があまりに強く振動するものだから、其のうちにとうとう、密着していた飯粒が剥《は》がれてポロリと下に落ちてくるのである。――こいつを使って堕胎《だたい》をやらせようというのが、柿丘秋郎の魂胆《こんたん》だった。
 子宮《しきゅう》は茄子《なす》の形をした中空《ちゅうくう》の器《うつわ》である。そう考えると、子宮にもその寸法に応じた或る振動数がある筈だ。妊娠後|二《フ》タ月や三月や四月の胎児は、ドロップの缶に付着した飯粒《めしつぶ》も同然で、ほんの僅かの力でもって子宮壁に付着しているのだった。注射器を使って子宮の中に剥離剤を注入すれば、その薬品が皮膚を蝕《おか》すため、胎児と子宮壁とをつないでいる部分の軟《やわらか》い皮が腐蝕して脱落し、堕胎の目的を達するのだった。それを機械的にやるのが、柿丘秋郎のとろうという方法であって、雪子夫人の外部から、強烈な特定振動をもった音を送ってやると子宮はたちまち激しい振動をおこし、揚句《あげく》の果《はて》に彼と夫人との間にできた胎児《たいじ》が、ポロッと子宮壁《しきゅうへき》から剥《はが》れおちて外部へ流れ出し、完全に堕胎の目的を達しようというのだった。
 この世にも奇抜な惨忍きわまる方法を見つけだした柿丘秋郎は室内を跳《は》ねまわって歓喜したことだった。彼は二万円近くの金を犠牲にし、旅順大学の研究班をダシにつかって、その邸内《ていない》の一隅《いちぐう》に、実験室外には音響の洩れないという防音室を建て、多くの備付器械《そなえつけきかい》のうちに、予《あらかじ》め、子宮の寸法から振動数をきめて、そのような都合のよい音を出す器械を混ぜて購入したのだった。その機械の据付も終った。器械は、彼が操《あやつ》るのに便利なように、一切の複雑な仕掛けを排し、押釦《おしボタン》一つをグッと押せば、それで例の恐ろしい振動が出るように作らせることを忘れなかった。もっともこの器械を作った人は、魔人のような彼の使用目的をすこしも知らなかったのだった。
 さてこの上は、何とか言葉をかけて、雪子夫人をこの実験室に引き入れることができればよいのだった。それはなんの造作《ぞうさ》もないことだった。彼が唯一言、夫人にむかって、「奥さん、例の旅順大学に使わせる実験室がすっかり出来上って、今日の夕方までには、机も器械も全部とりつけが出来るんですよ」とさえ云えばよかった。あとは夫人の方で心得て、
「あら、そお。それじゃ、あたし夜分《やぶん》に、ちょっと、お寄りするわ。ね、いいでしょう、あなた」
 と云うに違いないのだった。そして事実はすべてその筋書どおりに、とりはこばれたのだった。時計が七時をうつと、実験室の扉《ドア》がコトコトと打ち鳴らされた。室内にひとりで待ちかまえていた柿丘は、その音を聞くと、ニヤリと薄気味の悪い嗤《わら》いをうかべて、やおら、椅子の上から立ちあがった。
 内部から柿丘が扉《ドア》を開くと、とびつくようにしてよろめきながら、雪子夫人が入ってきた。
「貴女お独り?」
 と、柿丘はきいた、念のために……。
「ええ独りなのよ。どうしてさ、ああ、奥さんのことなの。奥さんなら、いまちょいとお仕事が、おあんなさるのですって」
 雪子夫人は、お饒舌《しゃべり》をしたあとで、娼婦《しょうふ》のように、いやらしいウインクを見せたのだった。
「奥さん
前へ 次へ
全11ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング