ことになり、いわば博士の公式な第一試術患者となったわけで、また一面において柿丘の病状は第三期に近く右肺の第一葉をすっかり蝕《むしば》まれ、その下部にある第二葉の半分ばかりを結核菌に喰いあらされているところだったので、若《も》しもう一と月、博士の門をくぐるのが遅かったとすると、流石《さすが》の博士もその回春《かいしゅん》について責任がもてなかったのだった。
 ここに一寸だけ、柿丘秋郎の輪廓《りんかく》を読者に示さねばならぬ羽目になったけれど、柿丘秋郎は彼の郷里の岡山《おかやま》に、親譲りの莫大《ばくだい》な資産をもち、彼の社会的名声は、社会教育家として、はたまた宗教家として、年少ながら錚々《そうそう》たるものがあり、殊《こと》に青年男女間に於ては、湧きかえるような人気がある人物だった。ちょうど病気に倒れる直前には、その宗教団体の選挙があって、彼は猛然なる運動の結果、その弱年にも拘《かかわ》らず、非常に重要な地位に就《つ》いた。凡《およ》そ宗教家とか社会教育家というものほど、奇怪な存在は無いのであって、彼等のうちで、真に神に仕《つか》え世の罪人を救うがためにおのれの一命をも喜んで犠牲にしようという人物は、たいへん稀《まれ》であって、彼等の多くは、たまたま職業を其処にみいだしたのであって、それから後は無論のこと職業意識をもって説教をし、燃えるような野心をもって上役《うわやく》の後釜《あとがま》を覘《ねら》み、妙齢《みょうれい》の婦女子の懺悔《ざんげ》を聴き病気見舞と称する慰撫《いぶ》をこころみて、心中ひそかに怪しげなる情念に酔いしれるのを喜んだ。柿丘秋郎の正体もつきつめて見れば、此の種の人物だったが、割合に小胆者《しょうたんもの》の彼は、幸運にも今までに襤褸《ぼろ》をださずにやってきたのだ。これは僕が妬《ねた》みごころから云うのではない。
 柿丘が、あの病気に罹《かか》ってその儘《まま》呼吸《いき》をひきとってしまったら、彼の競争者は、たちまち飢《う》えたる虎狼《ころう》のごとくに飛びかかって、柿丘の地位も財産ものこらず平《たいら》げてしまい、その上に不名誉な背任《はいにん》のかずかずまで、有ること無いことを彼の屍《しかばね》の上に積みかさねたことだったろう。柿丘秋郎は、その間の雰囲気を、十二分に知っていた。
(もうこれは駄目だ。最後の覚悟をしよう)とまで、決心した彼だっ
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