たすことなく、二日後に長逝《ちょうせい》してしまった。ここに泪《なみだ》なくしては眺めることの出来ないものがある。それは、二十年の春を、つい此の間迎えたばかりの呉子さんが、早や墨染《すみぞめ》の未亡人という形式に葬《ほうむ》られて、来る日来る夜を、寂滅《じゃくめつ》と長恨《ちょうこん》とに、止め度もない泪《なみだ》を絞《しぼ》らねばならなかったことだった。
 身寄りのすくない呉子さんに、何くれとなく力添《ちからぞ》えをすることの出来るのは、僕一人だった。白石博士も、雪子夫人も急によそよそしくなって、極《ご》く稀《まれ》にしか、呉子さんの許を訪ねて来はしなかった。僕は、亡き友人柿丘になり代って、いや柿丘のなし得たその幾層倍の忠実さをもって、呉子さんを慰《なぐさ》めたのだった。呉子さんも、僕を亡き良人《おっと》の兄弟同様の人物として、何事につけ僕を頼り、たとえば遺産相続のことまでも、すこしも秘密にすることなく、僕に相談をかけるという有様だった。呉子さんと僕との心が、いつとは無しに相寄《あいよ》って行ったのは、誰にも肯《き》いて貰えることだろうと思う。
 柿丘の死後二ヶ月経った晩秋《ばんしゅう》の或る朝、僕はその日を限って、呉子さんの口から、或る喜ばしい誓約をうけることになっているのを思い浮かべながら、新調の三つ揃いの背広を縁側《えんがわ》にもち出し、早くこれに手をとおして、午後といわず、直ちに唯今から、呉子さんを麻布《あざぶ》の自邸に訪問しようと考えた。
 僕は、帯をほどいて衣服をうしろにかなぐり捨てると、猿股《さるまた》一枚になって、うららかな太陽の光のあたる縁側にとび出し、、ほの温い輻射熱《ふくしゃねつ》を背中一杯にうけて、ウーンと深い呼吸をして、瞼《まぶた》をとじた。
「町田狂太《まちだきょうた》さん」
 不意に、庭の方から人の近づく気配がした。眼を眩《まぶ》しく開くと、三十あまりの若い青年紳士が、こちらを向いてニコヤカに笑いながら、吾が名を呼びかけた。
「僕は町田ですけれど、貴方《あなた》は、どなたでしたかね」
 僕も、ついつい笑いに誘《さそ》われて、朗《ほがら》かに云ってのけた。
「ちょいとお話を伺《うかが》いたいことがあるんですが……。僕は、こういう者なんでして」
 そう云って青年紳士は、一葉《いちよう》の名刺をさしだした。とりあげて読んでみると、
「私立探
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