でも修行と、後から來る若い心靈たちへの世話の成果によつて、大守護靈となる出世の途がある。そして天下のことは自分の心次第で、どうにもなるといふ大能力者になる。これが心靈の『上り』である。
自殺した友人のこと
呼び出した心靈と話をしてゐると、はじめは違つた人の心靈が出て來たやうに思つてゐた者も、だんだんにその本人の心靈に間違ひないやうに思つて來る。
その心靈に、『こつちの娑婆の世界が見えるか』また『こつちの顏が見えるか』と質問すると、心靈は次のやうに答へる。
『あなたがたの住んでゐる世界を見たいと思ふが、よく見えません。それは雨戸の僅かの隙間から、うす暗い夜の外景を見るやうなもので、視野は狹く、その上にはつきり見えないのです。しかしあなたのお聲はよく聞えます。修行を積むと、娑婆の世界がもつと明るく見えるのださうですから、修行をはげみませう』
死後の世界の有樣を、こんな風に心靈は傳へる。そして靈の修行は、死後の世界へ來て始めて意味と效驗を生じ、未來の榮達が約束される。娑婆でいくら修行してみても、それは砂で塔を建てるやうなもので、何にもならない。娑婆は、單に幻想の世界に過ぎない
前へ
次へ
全16ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング