なかつた。
もしもその時、もつと深く友人の家庭の事情や、心靈研究會や靈媒との關係を深く知つてゐたら、私たちは彼の計畫が本物だといふことを知つて、警戒したことであらうが、そこは手ぬかりがあつた。
自殺する少し前、彼はいつもより少し落着かない態度で、私たちに言つたことがある。
『妻がね、あなたはなぜ早くこつちの世へ來て下さらないんですと、恨めしさうにいふんだ。妻は、今では僕を一刻もそばから離したくないらしい。折角心靈を呼び出して、妻を救つたつもりだつたが、今は反つて妻を煩惱に追ひやることとなつた。僕は責任を感ずるよ』
彼が自殺したとき、亡妻の忘れがたみの女兒を道伴れにした。私たちは、その自殺の場所である千葉縣の某海岸へ赴いて、哀れな親子心中の有樣を見た。
悼しいのは、その女兒が、小兒麻痺症であつて、學齡期を相當過ぎてゐるのに登校をさせることも出來ず、親類中で同情してゐたといふことを、其の時始めて知つた。私たちには、さうは語られず、七歳の女兒が居るのみ知らされてゐた。
彼が死んで、新聞にも大きく記事が出、もちろん心靈研究會へも傳はつた。私たちは、その後、その會へ行つてみた。
その
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