味を持つ人々が、だんだん多く集つて來ると、心靈の科學的考察が盛んとなり、新しい科學の分野にわれこそ先に踏みこむのだといふ篤學の熱心家が現はれ、「心靈電子論」だとか、「心靈四次元論」だとか、「心靈三世説」とかを提唱して體系づけ、心靈の存在に確乎たる裏打ちを施すのであつた。電子論の上つ面だけしか知らない手合は、この論説にころりと參つてしまつて、次には自分がそれを説く立場へ進むのであつた。
 理論の方は、山の芋のやうなもので、いくら捕へようとしても、ぬらぬらして、逃げられてしまふが、心靈實驗の物理化學的説明となると、これはなかなかうまく行かず、實驗の條件がどうのかうのとの爭ひが頻發し、揚句の果は、折角會の方へ半分位引摺りこんだ本格的理學者たちに逃げられてしまつたり、惡い場合は、尻尾をおさへられさうになつたりして、結論本格的學者からは見離されるに至つた。
 石原純博士の如きは、ずゐぶん長期に亙つて熱心に心靈實驗に立合はれた一人である。其他、現存の權威ある博士達で、心靈研究會へ引張だされた人々は少くない。しかし石原博士が一番熱心のやうに見えた。
 石原博士の臨席が、靈媒にとつてだんだん苦痛になつて來たものと見え、しばしば實驗が不成功に陷つた。そればかりか、暗闇の中に於て、心靈が石原博士の横面を毆つて眼鏡を叩き壞したり、同伴の原阿佐緒女史の扇を心靈が引裂くなどの暴行があり、そこで博士はこれ以上の臨席は危險だと悟つて、それつきり出席されなかつた。博士は、生命の危險を感じたから、手を引いたのですと、私に語られたことがある。

   死後の世界

 一體心靈とは何であらうか。
 それは魂のことである。肉體の中に、魂が宿つてゐる。その魂が、肉體の死後、それから拔けだして、次の世界へ行く。
 その魂は、場合によつては元の世界に現はれることもある。
 この魂は、この世に肉體が出來る前からあつた。つまり魂は三世にまたがつて存在するのである。
 心靈研究者は、さう説いてゐる。
 或る一派では、四世にまたがつてゐるといつてゐる。すなはち、前の世、この世、次の世、もう一つ先の世、この四つの世がある。魂はこの四つの世を旅行するものだといふのである。
 芝居などで幽靈が姿をあらはし、恨みを含んだ目で、きつと睨み、細い手首でぐるぐると圓を描き『迷うたわい』と血を吐くやうな聲で訴へる。この幽靈も、肉體をは
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