とき、靈媒にも會つたが、彼女はたいへん狼狽して、
『私は、實驗が終つてから、あの方に、いくども御注意したんです。どうかお間違ひをなさらないやうに。亡くなつた奧さんがどんなことを仰有らうと、あなたは自殺なんかなすつてはいけませんよと、懇々と御注意しておいたんですがね』と、殘念がつた。
 會の主事は主事で、澁い顏を振りながら、『どうもわしたちの見てゐたところでは、あの方は少し深入りしすぎて居られるやうぢや、間違ひがなければいいがなと、心配してゐたところへ、こんどの事件です。おどろきました』と、述懷した。
 友人の遺書には、『いづれ次の世界へ行つたら、心靈科學を確立し、君たちに對して通信を行ふから、待つてゐるやうに』といふことであつた。だが、彼の死後、もう十五年以上の歳月が流れたが、今もつて彼からの靈界通信に接しない。
 近來、心靈研究が又盛んになつて來たといふ話を聞く。今度流行りだしたものは、私が先に經驗したものとは、又色合の變つたものであらうと思ふ。
 私のやうな淺學菲才な者には、果して心靈が存在するのやら、靈媒が本物かインチキか、そのいづれか分らない。しかし本物の靈媒も時には商賣氣が出て尻尾を出したり、俗人に戻つたりするのではなからうかと思ふ。
 また心靈の見せる物理化學的實驗は、決つて暗室でやることになつて居り、實驗のお膳立も心靈又は靈媒の側のみで要求するが、これは本當に證しを立てるつもりなら、白晝の實驗にしなくてはならず、實驗のお膳立も理化學者に委せるのがよろしく、さうでなくては本格的の心靈實驗は確立するものではないと思ふ。これらの點が、石原純博士や、現存の某博士たちに心靈研究會から手を引かせた根本的原因である。
 新しい心靈研究は、どの方向へ行く。どんな形でお目見得するか。興味は依然として存在するのだ。
[#地から1字上げ]―― 完 ――



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「宝石」
   1949(昭和24)年8月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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