。彼は驚愕《きょうがく》の声を懸命に嚥《の》んだ。若紳士の左胸に捲いた繃帯《ほうたい》は、空気の抜けたゴム毬《まり》のようにへこんでいた。
だが、あやしいことにスットン、スットンと音が聞える。正しく心音と思われる。
袋探偵はこのことをまことに若紳士に告げ、その注意を喚起《かんき》した。
「それは聞えている。しかしその音は、僕の胸の中でしているのではない。そしてその音は、僕が二十四時間聞きなれた僕の心臓の音ではないのだ。――ああ、僕の心臓を奪っていった奴。そやつをとっ捕えて、僕の心臓を取戻してくれ。ああ、神様。いや悪魔でもいい、それをやってくれるなら……」
と、かの気の毒な若紳士は、心臓を奪われた人の声とは思われない張りのある声で述べたのであった。
袋探偵は困惑のどん底になげこまれた形であった。
しかし彼は、かねてそのどん底というやつにぶつかると同時に反作用的に元気を盛りかえす習慣のある人物だったので、どん底に叩きつけられるが早いか、たちまち怒牛《どぎゅう》のように奮い立った。
もっとも、このときは、翻然奮起《ほんぜんふんき》すべき一つの素因のためにお尻をどやされたのである。
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