てはならぬ。第五は、この青年がこのとおり軒下ながら、下に藁蒲団を敷き、風邪をひかぬように暖く五枚の毛布にくるまって居る事実に注意せられたい。これはこの青年が用意したことではない。これまたかの烏啼天駆めの責任的行動である。従来の賊なれば、この青年の心臓を抜いて、残りの身体はそのまま溝の中へでも叩きこんでおいたであろうが、わが烏啼――いや、かの烏啼めに至っては、下に藁蒲団を敷き、被害者の身体は純毛五枚で包んだ上で、ここへ捨てていった。烏啼ならでは、こんなことはしない。第六には……」
「待った。もういいです。われわれも、烏啼の仕業たることを大体確認しましたから」
「第六には……」
「いや、それよりもこの被害者を直ちに病院へ移しましょう。こんなところに永く置いて当人に風邪でもひかせたり、死んでしまわれたりすると、われわれの責任になりますからなあ。そうなると、われわれは烏啼天駆に劣ることになります。――事件の尋問は、この安東氏を病院へ収容した上でのことにしましょう」
 虻熊課長はそういって、部下に目配《めくば》せをしたのであった。


   恋愛事件


 検察陣の大活動が始まった。
 怪賊烏啼天駆の行方を厳探《げんたん》に附す一方、非常線はものものしく張られた。
 また、事件当夜、かの被害者安東仁雄の足取が詳しく調べられ、そして当夜彼がすこしでも事件に関係があるのではないかと思った事項について厳重な調べがなされた。
 だが、烏啼の所在は判明せず、安東の心臓がどこにあるのか、またどうなったのかについても得るところがなかった。そして事件はようやく迷宮入りくさい観を呈するに至った。
 猫背の名探偵猫々は何をしていたか。
 彼は、安東が心臓を盗まれて後、はじめて安東に近づいた人物であり、且つ遺棄された被害者を初めて発見した人物であるというところから、心臓盗難事件の主役ではないかという嫌疑を多少もたれたため、四五日検察当局の中に泊めておかれた。
 だが彼は格別にそれに憤慨するようなこともなく、同じことをいくどでも釈明し、そして穏かにその日数を重ねた。そして最後に嫌疑が晴れて自由の身となることが出来たが、たちまち新聞記者連の包囲にあわねばならなかった。
「あんたは心臓盗人としての嫌疑を受けて拘束せられていたのか」
「そうではありません。当局はわしを、烏啼の賊から保護するために泊めておいたのです」
「じゃあ、出されたのはもうあんたを烏啼から保護しなくも危険はないという事態になったと考えていいのか」
「事態がそうなったというよりも、わしの実力を以てすれば烏啼の輩から危害を受けるおそれなしと当局が認めたせいですよ」
「あんたはこれから烏啼と一騎打をするのか」
「従来からも一騎打をして来たですから、もちろんそれを続けますよ」
「烏啼がどこに居るか、あんたは知っているのか」
「はあ、よく知っていますよ」
「当局は烏啼の所在が分らないといっている。あんたは当局に教えてやらないのか」
「訊かれもしないことについて喋《しゃべ》らないでもいいでしょう。当局には当局で、お考えもありまた面子《めんつ》もあるのでしょう」
「あんたは、烏啼が本当に安東の心臓を盗んだと思っているのか」
「はい。そう思っています」
「じゃあ、烏啼は何の目的があって安東の心臓を盗んだと思うか」
「恋愛事件が発生しているのですね」
「ぷッ」と新聞記者は噴《ふ》きだして「恋愛事件だって。しかし烏啼は男の子だろう。男の子が男の子の心臓を盗んだって一体何になろう。況《いわ》んや、言葉じゃ“心を盗む”とか、“心臓を自分の所有にする”とかいうが、ほんものの血腥《ちなまぐさ》い心臓を盗んだって、なんにもならんじゃないか」
 記者たちは笑いながら散っていった。
 あとに袋探偵は、猫背を一層丸くして、一つ大きなくさめをした。それから彼は手の甲で洟《はな》をすすりあげ、大きな黒眼鏡の枠をゆすぶり直すと、両手を後に組んで、ぶらぶらと歩き出した。
 見えがくれに尾行して来る六名の記者を地下鉄の中でうまくまいて、かれ袋猫々は、とつぜん安東仁雄の病床を訪れた。
 安東は、北向きの病床に上半身を起し、さかんに南京豆《なんきんまめ》の皮を指でつぶして、豆をがりがり噛んでいた。血色は、すばらしくよかった。彼の病床のまわりには、看護婦が五六人もたかっていた。
 それらの婦人を遠慮してもらって、袋探偵は安東とさし向いになった。
「探偵さん、僕はもうやり切れんですよ」
「お察しします」
「僕の心臓は見つかりましたか」
「まだです」
「まだですか。困るなあ、見つからなくては……烏啼氏は見つかりましたか」
「わしはまだ彼を訪問していません」
「どこに居るのか分っているのですか」
「多分……。但し、わしにだけはね」
「烏啼氏に会ったら、僕
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