に代って懇願して下さい。金はいくらでも出すから、元のように本当の心臓をはめて下さいって」
「いうだけはいってみましょう」
「とにかくこうして代理心臓を首から釣り下げていたんでは、恰好が悪くてあの娘の前にも出られませんしねえ」
「そう、その“あの娘”について伺いに参ったわけですが、そのお嬢さんのお名前はなんというのですか」
「今福西枝というんです」
安東はベッドの上に指でその字を書いた。
「イマフク・ニシエさんですね。ようござんす。ひとつ努力をして見ましょう」
「探偵さん。お願いですよ。あの娘の前へ、あの娘にいやがられないで出られるように、一日も早くさっきのことを解決して下さい」
「いやに気の小さい台辞《せりふ》を仰せられまする」
「僕は生まれつき気が弱くてね。だからあの娘とまる一年も交際しながら、まだ僕は自分の意志表示さへ出来ないんです」
「あなたの情熱が足りんのじゃないですか」
「そんなことはない。僕は自分の情熱が百度以上に昇っているのを知ってます」
「とにかく後でまたご連絡しましょう」
袋探偵は、頭をふりふり病院を出ていった。
意外と意外
それから袋探偵は、急に忙しくなった。
気になることを大急ぎで一つ一つ片付けてゆかねばならない。
彼はまず安東仁雄の性行調査を行った。安東の止宿しているアパートのおばさんをはじめ、その友人たち、勤め先の上役と下僚、それから彼の加入しているロザリ倶楽部《クラブ》の給仕や給仕頭や預所の婦人たちを訪ねまわった。
その結果、安東仁雄の人柄がわかった。彼は模範的な温和《おとな》しい青年であって、金銭関係についても婦人関係にかけても極めて厳格であって、一つのスキャンダルもない。強いて欠点をあげれば、彼安東はまるで徳川時代の箱入娘のように気が小さすぎて、人前にもろくに口がきけず、況んや婦人に向いあうと、たとえ相手が八十の梅干婆さんであっても、彼は頬から耳朶《みみたぶ》からすべてを真赤に染めてはずかしがるのだそうであった。
(はてな。それはすこし解せないことだわい)
と、袋探偵は頸をひねった。というのは、彼は安東が自分の病床のまわりに若い看護婦を五六人もひきよせて、きゃつきゃっとふざけていたこの間の光景を思い出したからだ。また安東は、口では自らの気の小さいことを訴えるが、しかしこの間は血色もよく、言葉もはきはきして、なかなか元気に見えたのだった。
どこかに喰い違いがある。それとも証人たちが揃って嘘をついているのかもしれない。しかし揃って嘘をつくということはむずかしいことである。探偵は、また首をかしげながら、第二のコースへ廻った。
そこは、心臓を盗まれた安東仁雄の秘めたる恋の相手である今福西枝嬢の邸宅附近であった。
近所で聞合わせてみると、この今福嬢なるものが、また非常に気の弱いお嬢さんだそうであって、この波風荒き世にかりそめにも生き伸びて居らるるのがふしぎなくらいだそうであった。
丁度そのとき一台のスマートなクーペ自動車が、今福邸の門前についた。降り立ったのは体躯人にすぐれたる男、すこし長すぎるが、魅力のある浅黒い艶のある顔、剃刀《かみそり》をあてたばかりの頬が青く光っている。ポマードを惜気もなく使った長髪、薄紫の硝子《ガラス》のはまった縁なしの眼鏡、ぴんとはねたる細身の鼻下の髭。それが赤と白との縞ネクタイを締め、スポーツ型の薄いグリーンの格子織のオーバーを着込んで、ゆったりと門の中へ入って行く姿は、女ではなくとも見惚れるほどのすばらしい美男の紳士だった。
「あの殿御《とのご》ですよ。初めて今福さんのお嬢さんと大ぴらの交際をなさるようになったのは……」
煙草屋の内儀《かみ》さんが袋探偵に囁《ささや》いた。
探偵は呻《うな》った。
しばらくすると門の中から、さっきの紳士が、栗鼠の毛皮のオーバーにくるまった細面《ほそおもて》の麗人《れいじん》を伴って出て来た。
「ほらお嬢さまのお出ましですよ。あの殿御は今日で六日間お迎えにいらっしゃいますのよ。なんてご親切な殿御でしょう」
内儀さんは溜息をつき、探偵は二度目の呻り声をあげた。
クーペは薄紫のガソリン排気を後にのこし、車上の男女は視界から去った。
探偵はようやく吾に戻って、周章《あわ》てだした。
「あんな若作りの変装をしてやがるが、あの殿御なる野郎は、誰が何といおうと、正《まさ》しく賊烏啼めに違いない。これで三角形の三つの頂点ABCが見つかったぞ。よし、それならこっちにもやり方がある」
さきに告白を受けた安東仁雄と今福西枝の関係、それから今の今福西枝と烏啼天駆の関係が明白となった以上、もう一つの烏啼天駆対安東仁雄の関係が当然想到されるのだ。そしてこの第三関係の深刻の程度は、他の二つの関係によって決まる。この三角関
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