にやっと笑顔になり「四方木と書かせるようにしたのは、あの古神だったのですよ。そのことは、何の時だったか、田鶴子が客の一人に上機嫌でお喋りをしているのを私は傍で聞いた覚えがあります。しかももう一つ話があるのですよ。それは何でも古神が、名の方も田鶴子ではなしに、田津子に改めろといったらしいんですが、あの女はそれを頑として応じないで田鶴子を通しているといっていました。それは田鶴子の方がずっと上品だからという理由に基くんだそうです」
「まあ、面白いこと」
 二人は、そこで声を合わせて朗らかに笑った。
 だが、二人は間違っていたのだ。それが笑うべき事柄でなかったことは、やがて二人にはっきりと、そして深刻に了解されるであろう。
 しかもだ、カズ子の名前も、彼女の愛人の田川の苗字も既に用意せられた恐ろしい舞台の上でスポットライトを浴びていたことに同時に気がつくであろう。

     5

 雑木林がようやく切れて、帆村荘六と春部カズ子はひょっくりと千早館の塀の前へ出た。
 帆村は春部の方を振返った。春部は千早館の高い屋根に釘づけになっていた眼をかえして、帆村の方を見た。彼女の円《つぶ》らな眼の奥には
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