って、洋杖の先は飛んだ。
「念入りな首斬り仕掛けだ。おお危かった」
と帆村は首をおさえて身慄いした。
また一命を拾ったのはいいが、折角勢いこんだのに、館内の安全な部屋への入口が分らない。まだ何か、解き切っていない謎があるのか。
帆村はそこで、例の千早ふるの歌を、声に出して誦んでみた。
「千早ふる、かみ代もきかず、たつた川、からくれないに水くぐるとは……」
分らない。上の句に謎があるのか。
「その歌、在原の業平朝臣の詠んだ歌ね」
そういった春部の言葉が終るか終らないうちに、突然すぐ左の壁が動き出してすうっと引戸のように横手に入ってしまった。そしてその向こうに廊下がひらけ、そして階上へつづいた階段が見えた。灯火は普通の電灯であった。
「これだ。これが探していた最後の通路だ。入りましょう、春部さん」
帆村は、短くなった洋杖を、今開いた引戸の敷居にしっかり嵌《は》めこんだ。この秘密の引戸が再び閉まらないようにするためであった。
帆村の手にも、今やピストルが握られた。
二人は臆する気色もなく階段をあがって行った。すっかり貴族の部屋らしい飾りつけであった。住居区がここであるのは最早疑いを容れなかった。
階段を上ってから、厚い絨毯《じゅうたん》の上をずんずん奥へ進むと、紫色の重いカーテンが下っている前へ出た。
そのときカーテンの奥に人の気配がしたと思うと、
「野毛さん、帰って来たの」
と、女の声がした。[#天付きはママ]
その声に帆村は、胸を躍らせた。
(田鶴子の声だ!)
帆村はすかさず返事をした。
「へい、遅くなりやして……」
「仕様がないね。あたしが替りに怒られているのよ。早く謝ってよ」
「へいへい。――どうぞお手をおあげ下さい」
と、帆村はピストルを構えてカーテンの脇からぬっと入ったものの、彼は危く気が遠くなるところだった。その場の異様な光景! いや、世にも恐ろしき舞台面だ!
大きな純白の絹を伸べたベッドがある。そこに上半身を起している死神のような顔をした痩せ衰えた男。それと、その横に寄り添っている凄艶なる女性――それこそ田鶴子に違いなかったが、気味の悪い死神のような病人は何者?
田川勇ではない。
帆村のピストルが見えぬか、二人の男女は平然としている。男の手にあるシャンパン用の硝子盃へ、女は銀色の大きな容器から血のように真赤な酒をつぐ。
男はその盃を目の高さにあげて透して見てにやりと笑う。盃は紫色の唇へ近づく。ごくり、ごくりと、うまそうに呑み終わって、死神男は盃を唇から放すを、傍なる女は白いあらわな腕をさし出して盃を受け取る。死神男の感にたえたという舌打――突然その男が、皺枯れた声を張り上げた。
「おい帆村荘六……」
その声音に、帆村はぶるっと慄えた。
「……わしの臨終に、間に合うように来てくれたか。しかしピストルとは無風流な……」
「おお、古神行基か」
「そう……今気がついたのか。ひっひっひっひっ」
「君はまだ生きていたのか」
「……設計どおり人は揃った。カズという名の女人、こっちへお入り……」
「入っちゃいけない」
帆村はカーテンの蔭へ叫んだ。
「ひっひっひっ。帆村荘六、何をいうか。……あっ、もう迎えだ。地獄へのお迎え……吸血鬼がひとり消える。さらば……」
「あなた!」
生きていた古神行基が、ばったり前へのめるのに打重って田鶴子は激しく嗚咽《おえつ》する。
帆村はいつの間にかピストルをポケットに収って、旧友の亡骸《なきがら》に向って合掌していた。
こうして七人の青年の血を啜《すす》った吸血鬼古神行基は、本当にこの世から姿を消した。従ってこの物語も終ったわけであるが、四方木田鶴子は妖婦というのでもなく、彼女は古神のためには貞淑な忠実な側妾だった。
後に分ったことであるが、古神は或る時、吸血の快楽を知って、遂に呪うべき吸血鬼と化した。しかし彼はそのままでは吸血鬼としての生活を送ることの危険を悟り、田鶴子とよく打合せて、アルプスで遭難したように見せかけ、戸籍面から名を消したのであった。それから以後に、彼は田鶴子の手引で七人の青年をこの千早館へ誘い込み、あの殺人回転刀でその生命を断ち切り、その新鮮なる血を絞って、毎日の用に供したのであった。最後の犠牲者は田川ではなく、田川はこの館内の地下室に繋がれて生きていた。彼は元来頭のいい男だったから、千早館の謎を解いて二度目の危険区域を脱したが、最後の謎である「在原の業平朝臣」の暗号言葉を知らなかったために内部へは入れずまごまごしている所を野毛に発見されて、地下へ繋がれたものである(野毛は古神家に代々仕えた料理番だった)。
地下には水力発電所があった。その水力は愕くべきことに、この千早館の地下が鍾乳洞になっており、その地下水を利用したものであった。彼は
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