はっはっはっ、僕は莫迦だった。なんと頭の働きの悪い男だろう、はっはっはっ」
「せ、先生。どうなすったんですの」
春部の声に、帆村は自嘲を停め、
「カズ子さん、謎は解けました。全く子供騙しのような謎なんです」
「どうして、それが……」
「私はポン助だから、今気がついたのですよ。いいですか。ここは千早館でしょう」
「ええ、そうです」
「千早ふる神代もきかず龍田川――知っていますね。小倉百人一首にある有名な歌です。その下の句に、からくれないに水くぐるとは[#「からくれないに水くぐるとは」に傍点]とあるではありませんか。からくれない[#「からくれない」に傍点]とは、正面奥の、あの真赤に塗った壁です。水くぐる[#「水くぐる」に傍点]とはこの水族館です。左右の金魚槽の間を脱《ぬ》けて奥へ進めば、水くぐる[#「水くぐる」に傍点]です。最後の『とは』はすなわち『戸は』です。正面に見ているのは『戸ろ』だから、その隣りに『戸は』がある筈です。その『戸は』を開け――というのがこのところに集められた謎の解答なんです。行ってみましょう、この奥にある筈の『戸は』のところへ。それからきっと、秘密の間に続く道があるんでしょう」
帆村は謎を解き捨てた。
「綺麗な答えですわ。やっぱり奥へ行けばいいのでしたわね」
春部は身を翻して奥へ駆入ろうとする。それを帆村が呀っと叫んで引戻した。
「待った、恐ろしい関があるんだ。この水銀灯の光だ。カズ子さん、このままあなたがこの小路を奥へ駆込めば、あなたの首はすっとんで、あたり一面はそれこそ唐紅《からくれない》ですぞ」
「まあ、恐ろしいことを仰有る」
「これを見てごらんなさい」
帆村は前へ三歩進んで、洋杖を前方へ斜に突出し、それから徐々にその洋杖を奥の方へ深入りさせた。すると発止と音が鳴ったと思うと鋼鉄製の洋杖が石突のところから五寸ばかりが、すっぱりと切れて飛び、壁にあたってから下に落ちた。春部はびっくりしたが、訳が分らない。
すると帆村は、洋杖を一旦引いてから、右側の壁にひそんでいるプロペラの兄弟みたいなものを指し、
「こいつが曲者なんです。こいつはここにひそんでいると見せて、実はあの軸を中心に、すごい勢いでプロペラのように廻っているのです。それがわれわれに見えないで、じっと静止しているように見えるのは、水銀灯のいたずらです。この水銀灯は恐らく千分の一秒だけ点火し、あとの千分の一秒は消えているのでしょう。そして千分の一秒点火したときだけ、ここを照らし、あの殺人回転刀――あのプロペラの兄弟のようなのがそれです――殺人回転刀を照らすのです。そのとき回転刀は、いつもあの位置にいるのです。つまり回転刀があの通り壁の中に入ったときに、水銀灯はちかっと光るのです。そうなると回転刀はあそこに静止しているように見えます。元来人間の眼は、残像時間が相当永いので、一秒間に二十四回以上断続する光は、それが断続するとは見えず、点《つ》け放しになっているように感ずるのです。だから、あのように一秒間に千回も断続する光があっても断続するとは感じないんです。春部さん。あの殺人回転刀の刃は、われわれの目には見えないが、そこに見える小路一杯に廻っているのですよ。だから今あなたがごらんになったように、洋杖の先がこのとおりすっぽりと切られたんです。このとおり切口は鮮かです。これじゃ軟い人間の首なんぞ一遍にちょん切れてしまいますよ」
そういって帆村が見せた洋杖の先の切口は、磨いたように綺麗に斜めに切断されていた。春部の顔は真青になった。あのとき帆村がすぐ手を伸ばして自分を引停めてくれなければ、自分の前の小路の床を唐紅に染めていたことであろう。
「さあ、私についていらっしゃい」
「え、あなたは奥へいらっしゃるの。生命をお捨てになるんですか」
「なあに、この下を潜れば危険はないのです。千早ふるの歌に、水くぐれ[#「水くぐれ」に傍点]と示唆しているじゃありませんか。つまり腰を低くしてそこを通れば、水槽の間を抜けることになるから、それで安全だというわけです。さっき私はまだそのことに気がついていなかったんです」
帆村のする通りにして、春部も恐ろしき回転刀の下を無事に向こうへ通り抜けることが出来た。からくれないの壁にぶつかり、左を見ると、「戸ろ」に並んで、果して「戸は」と記した扉があった。
躊躇なく、帆村は「戸は」の前に立った。扉の引手に手をかけて引いた。扉は苦もなくがらがらと開いた。すると犬くぐりほどの穴があって、その穴を通して中に広い部屋が見える。
「この中ね」
「いや、これも気に入らない、この部屋の照明も、さっきと同じ水銀灯だ」
なるほど例の気味の悪い白っぽい光だ。
帆村は洋杖を取直して、そっと犬くぐりの穴から中へさし入れた。
ぴしりッ。再び手応えあ
前へ
次へ
全14ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング