いといったらないってよ。そして寝る部屋はおろか、住む部屋さえ見当らないということよ」
「じゃあ現在、誰も住んでいないんだね」
「魔性の者なら知らぬこと、まともな人間の住んでいられるところじゃない」
 魔性の者? 横で聞き耳を欹《そばだ》てていた春部は、どきんとした。
「ねえお婆さん。千早館を見物に、同じ女がちょくちょくやって来るのを知らんかね。背のすんなりと高い、顔の小さい、弁天さまのような別嬪《べっぴん》だが……」
 帆村は、ちょっとかまをかけた。
「ああ、あの女画描きかね。あの女ならちょくちょく来るが、ほんとに物好きだよ。物好きすぎるから嫁にも貰い手がなくて、あんなことしているんだろう」
「その女画家は、千早館に泊るんかね」
「いいや、聖弦寺《せいげんじ》に泊るということだよ。聖弦寺というのは、千早館の西寄りの奥まったところにあるお寺のこんだ」
「寺に女を泊めるのかね」
「なあに、住職なしの廃寺だね。そこであの女画描は自炊しているという話じゃが、女のくせに大胆なこんだ」
「お婆さん。その女画家から何か貰ったね」
「と、とんでもねえ。わたしら、何を貰うものかね、見ず知らずの阿魔《あま》っ子から……」
 帆村は軽く笑んだ。
「私もお婆さんにいろいろ聞いたから、お礼にこれをあげよう」と、帆村は二三枚の紙幣を老婆の手に握らせ「まあいいよ。取っときなよ、いくらでもないんだ。……それからもう一つ、二十五日の晩か二十六日の朝に、一人の若い男が汽車で着いて、千早館の方へ行かなかったかね」
「二十五日か二十六日というと三日前か四日前だね。はて、聞かないね、その話は……」
「五尺七寸位ある大男で、小肥りに肥って力士みたいなんだ、その人はね。もっとも洋服を着ているがね。髪は長く伸ばして無帽で、顔色はちと青かったかもしれない……」
「聞きませんね、そんな人のことは……」
 帆村の一番知りたいと思ったことは、残念にもこの老婆の口からは聞き出せなかった。

     4

 爪先あがりの山道を、春部をいたわりながらのぼって行く帆村荘六だった。
 だが、いたわる方の側の息が苦しそうに喘《あえ》いでいるのに対し、いたわられている方のカズ子は岩の上を伝う小鳥のように身軽だった。
「先生、田川は本当に、ここへ来ているのでしょうか」
「それは今のところ分らない。しかし田鶴子の動静を掴むことが出来たら
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