雪魔
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)恨《うら》めしげに
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)雪|下《お》ろし
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点、字下げの位置の指定
(例)[#地から3字上げ]一造
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東京の学校が休みになったので、彦太少年は三月ぶりに木谷村へ帰って来た。村はすっかり雪の中にうずまっていた。この冬は雪がたいへん多くて、もう四回も雪|下《お》ろしをしたそうである。駅をおりると、靴をかんじきにはきかえて村まで歩いたが、電柱が雪の中からほんのわずかに黒い頭を出しているばかりで、屋根の見える家は一軒もなかった。
「この冬は、これからまだ三度や四度は、雪下ろしをせねばなるまいよ」
と、迎えに来てくれた父親はそういって、またちらちらと粉雪を落しはじめた灰色の空を恨《うら》めしげに見上げた。
「五助ちゃんは何している? ねえ、お父さん」
彦太は、仲よしの五助のことを尋ねた。
「ああ五助ちゃんか。五助ちゃんは元気らしいが、此頃ちっとも家へ遊びに来ないよ」
「ふうん。僕が居ないからだろう」
「それもあるだろうがな、しかし噂に聞けば、五助ちゃんたちは三日にあげず山登りに忙しいそうだ」
「山登りって、どの山へ登るの。こんなに雪が降っているのに……」
「さあ、それはお父さんも知らないがね。とにかくあの家の者は変っているよ。今につまらん目にでもあわなきゃいいが……」
「つまらん目って、何のこと」
彦太は振返って後から来る父親の顔を見上げた。しかし父親は、ちょっと呻《うな》っただけで、それにはこたえなかった。
その翌朝、彦太はもうじっとしていられなくて、先のとがった雪帽を肩のところまで被《かぶ》り、かんじきの紐をしめると、家をとびだした。雁木《がんぎ》道がつきると、雪穴をのぼって、往来へ出た。風を交えた粉雪が横から彦大の身体を包んでしまった。五助の家まで、まだ五丁ほどあった。
五助は家にいた。そしておどりあがって彦太を迎えた。
火炉《かろ》のむしろに腰をかけて、仲よしの二人は久しぶりに向きあった。東京から買って来たお土産の分度器《ぶんどき》と巻尺《まきじゃく》が五助をたいへんよろこばせた。
「五助ちゃんは三日にあげず山へ行くってね。どの山へ行くんだい」
彦太は、聞きたいと思っていたことを、すぐに尋ねた。
「うん」
五助は簡単な返事をしただけで、しばらく口をつぐんでいたが、やがて、
「誰にそんなことを聞いたの」
と、ちょっとかたい目付で逆に尋ねた。
そこで彦太は、「それはお父さんが村の誰かから聞いたことさ」といった。すると五助はかるくため息をついて、
「やっぱりもう知れわたっているんだな。だから僕は、こんなことをかくしておいても駄目だと、はじめにいったんだけれどね」
「五助ちゃん。何か悪いことをやっているのかい」
彦太は、心配になるものだから、遠慮なく聞いた。すると五助は目を丸くして、首を左右に振った。
「彦くんのことだから、何もかくさないで話をするけれどね、実は一造兄さんが久しく山の中にこもっているんだ」
「へえ、そうかい」
「一造兄さんは、雪の中に大きな穴を掘ってその中にこもっているんだ。そして休みなしにカンソクをしているんだよ」
「カンソク? それは何のこと」
「僕もよく知らないけれどね、器械をたくさん持ちこんでね、地面の温度をはかったり、地面をつたわって来る地震を、へんな缶の胴中《どうなか》へ書かせたりしているのさ。これは春までつづけるんだって」
彦太は、それが何のことやら分らなかった。しかし一造兄さんといえば、東京の何とか大学の大学院学生で、いつもこんな科学実験をやっている人だった。だからそういうことがかくべつ悪いことであるはずがないと安心した。
「じゃあ研究のために観測しているんだろう。それなら悪いことじゃないから、村の人たちにかくさなくてもいいじゃないか」
「しかしね、一造兄さんはこのことは黙って居れときびしく命令を出しているんだよ。で、僕達が三日毎に山登りをして、兄さんの食物なんかはこぶことさえ誰にも知られないようにしろというんだよ」
「ああ、それで五助ちゃんは三日にあげず山登りをするんだね。なんだそんなことか。はははは」と彦太少年は安心して笑った。「でも、そんなことを秘密にするということは、ちょっとへんだね」
彦太がそういうと、五助は無口でいろりにそだをさかんにさし入れるのだった。五助の顔には、まだ何か語りつくさないものがあると書いてあるようであった。
(何だろう?)
と彦太は、ふしんに思った。いつもの五助なら、立板《たていた》に水を流すようにどんどんおしゃべりをするのに、それをしないで、何かを小さい胸に包んでいるようなのは、なぜだろうか。あ、そうか。ひょっとすると、その山がどこかというのが秘密なのではあるまいか。そしてその山からは、やがて尊《とうと》い鉱脈《こうみゃく》でも発見される見込みがあるのではなかろうか。
そう考えた彦太は、また遠慮なしに、そのことを五助にいった。すると五助は、一言のもとに打消した。
「ちがうさ。うちの兄さんは、そんな欲ばりじゃないよ」
「じゃあ、どこの山。山の名を聞かせてくれたっていいだろう」
彦太は五助を追いつめた。五助は見るもかわいそうなほど悩みの色をうかべていたが、やがて決心したものと見え、立上って彦太の傍へ席をうつした。そしてあたりを見まわした上で、彦太の耳の近くで低い声を出した。
「誰にもいっちゃいけないよ。そして君もおどろいてはいけないよ」
「誰がそんな秘密をもらすものかい。もちろん、おどろきやしないよ」
「さ、どうかなあ。で、その山というのはね、あの青髪山《あおがみやま》なのさ」
「えっ、青髪山! あの、誰も近づいちゃいけないという……」
「大きな声を出すなよ」
ふーんと彦太は呻《うな》った。彼の顔色は、とたんに青ざめていた。青髪山か。青髪山ならたいへんである。青髪山には昔から魔神《まじん》がすんでいるという話で、そこへ入った者は無事に里へもどれないそうだ。猟師だって、どんないい獲物を追っていても、その青髪山には近づきはしない。
そのような怪山の雪の下に穴を掘って観測を始めた一造兄さんが、誰にも語るなと命令したのはもっともだ。しかし一造さんは勇気がある。それはともかくあの奥深い青髪山まで、丈余《じょうよ》の雪を踏んで三日ごとに兄のため食物をはこぶ友の身の上を考えると、気の毒でならなかった。
そのとき五助は、さらに彦太の方へすり寄っていった。
「実はね、一造兄さんはね、この冬こそ、青髪山の魔神の正体をつきとめてくれると、はりきっているんだよ」
「魔神の正体をだって。しかしそんな器械で魔神の正体が分るだろうか。第一、あの山に魔神がすんでいるなどというのは伝説なんだろう。誰もほんとうに見た者はないんだから……」
彦太がそういうと、何思ったか五助は友の腕をしっかりつかみ、耳に口をあてた。
「ところがね、彦くん、魔神は実際あの山に居るんだよ」
「うそだよ、そんなこと」
「だって……だって見たんだよ、この僕が!」
「ええっ、君が魔神を見たって……」
彦太はそれを聞くと頭がふらふらした。
魔神《まじん》の山
五助と彦太とは、身をかためて、粉雪のちらちら落ちる戸外へ出た。頭には雪帽を、身体には簑《みの》を、脚には長い雪ぐつをはき、かんじきをつけた。そして二人の背中には、食料品と燃料と水と酒とが、しっかりくくりつけられた。青髪山《あおがみやま》の雪穴の底で、観測をつづけている一造へとどける生活物資だった。
「彦くん、やっぱり君は行かない方がいいよ。お雪を連れていけばいいんだから」
お雪というのは五助の妹だった。いつもは五助とお雪の二人で青髪山へ登るのであった。
「いいよ、いいよ。今日は僕が手伝う」
彦太は、いくら兄のためとはいいながら、自分よりも年下の女の子があの恐しい青髪山へ登るのを、黙って見物しているわけにいかなかった。ことに今日は吹雪になるらしい天候で、お雪が行けばどんな苦労するかしれないと思うと、だんぜん彦太は自分が身代りになることを申出たのだった。
お雪は、雪の往来まで送ってきた。はずかしそうにうつむき勝ちだったが、彦太にたいへん感謝しているのがよく分った。
五助が先に立ち、その後に彦太がつづき、雪の道をいよいよ歩きだした。幸いに人の目にもふれず、うまく青髪山への遠い山道の方へ曲ることができた。粉雪は、だんだん量を増して、二人の少年の姿を包んでいった。五助のかんじきが、三歩に一歩は深く雪の中にもぐった。
「三日前に来たときよりも、二尺ぐらい雪が増したね」
五助が、そういった。
「疲れたら、僕が代って、前を歩くよ」
「なあに彦くん、大丈夫だ」
深い雪の山道の傾斜がひどくなった上に、重い荷を背負っているから歩行がたいへん困難になった。二人の少年は、もう、ものもいわず、あらい息をはきながら雪の道をのぼって行く。
彦太の方は割合に楽であった。五助の後からついて行けばいいのだ。五助が踏みかためてくれた、かんじきの跡を踏みはずさなければいいのだった。
彼は歩きながら、さっき五助から聞いた青髪山の魔神を見た話を頭の中に復習した。
五助は、この前の登山のとき、その魔神を森の中にたしかに見たそうである。その森は、それから二十丁も奥にある杉の森で、地蔵様が立って居られるところから地蔵の森といわれているところだ。
ちょうど行きの道だったが、五助が前方約二百メートルに、この森を見たとき、雪の中に高い幹を黒く見せている杉の木立の間を、何か青味がかったものが、煙のようにゆらいでいるのをみとめたのだった。
(誰か、あんなところで焚火《たきび》をしている?)
と、始めは思ったそうだが、それにしても焚火にしてはおかしい。煙にしては色が青すぎるし、そして雪の降り積っている、下の方には見えず、杉の梢に近いところを、まるで広い帯が宙を飛んでいるように見えたので、はっと胸をつかれた。五助はあやうく声を出そうとして、ようやくそれを停めた。後には妹のお雪がついてくるので、ここでへんな声などをあげようものなら、お雪はおそろしさのあまり、気絶してしまうかもしれないと思ったからである。
五助は気をしずめようと、一生けんめいつとめながら、なおも怪しい青いものの姿を見つづけた。するとその怪しいものは、急に杉の幹を伝わって下りたように見え、雪の上を匐《は》って道の方へ出てくると見えたが、その瞬間、ぶるっと慄《ふる》えたかと思うと、かき消すように、その姿は消えうせたという。
五助はそこでもう道を引返そうと思ったが、兄が待っていることを思い、また妹をおどろかせることを心配して、自分の気を引立てると、そのまま、歩行をつづけたそうである。
が、やがて恐ろしい関門《かんもん》にさしかかった。その地蔵の森の前を、どうしても通りぬけねばならないのだった。五助はいざというときは、その怪物と組打をする決心をし、他方どうかその怪物が出てくれないように祈りながら、森の前にさしかかった。
幸いに、怪物の姿はどこにも見あたらなかったし、呻《うな》り声も聞えなかった。ただ見つけたものは、雪の中に凹《へこ》んだ足跡らしいものが、点々としてついていたことだった。その足跡らしいものは、もちろん人の足跡ともちがい、また動物のそれでもなく、舟の形をして縦に長く、そしてまわりからゆるやかに、中心へ向けて凹んでいたのである。森の前を通り抜けるとき見たのはそれだけだった。
五助は、そこを抜けると、お雪をはげまして、急に足を早めた。一刻も早く、その気味のわるい森から遠ざかりたいためだった。何もしらぬお雪は、五助の早足を恨《うら》みながら、息を切らしてついてきたという。
それからまた一里ばかり山を入って、兄一造のこもっている雪穴についた。五助はあのことを早く兄に話をしたく思ったが、妹がいるのでそれをいいかねた。帰
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