造兄さんのすがたが見えなかった。五助ちゃんは穴の中を奥まで行って、電池がひっくりかえっているのを見た。そのとき雪崩《なだれ》が来たから僕が穴の外から大声で呼んだ。君は穴からはい出してくる、そして向こうの山へひなんした。雪崩のあとで君の手を見ると血がついていた。そうだったね」
「そうだとも」五助は、彦太が何をいい出すのかと、じっと目をすえた。
「君の手についていたその血は、穴の奥にこぼれてた血だ。五助ちゃんが穴の奥でさぐっているとき、その血だまりに手をふれたんだ」
「あっ、そうか」五助は青くなった。「するとあの血は兄さんの身体から流れだした血だったんだね。やっぱり兄さんは殺されてしまったんだ。あのピストルの音が……」
「お待ちよ、五助ちゃん」彦太がおさえるようにいった。「僕は君の家の人の血液型をしらべたんだが、皆、A型だね」
「うん、皆、A型だ。お父さんもお母さんもA型だからねえ」
「そう、だから一造兄さんももちろんA型なのさ。ところが君の手についていた血を、あのとき僕が持って帰っても東京でしらべてもらったんだがね、一体その血液型が何とあらわれたと思う」
五助は息をはずませながら「A型じゃなかったとでもいうのかい」
「そうなんだ。A型ではない。だからあの血は一造さんから出た血ではない」
「ああ、うれしい。兄さんの血ではなかったのか」と五助はとびあがって喜んだが、やがてふと顔をくもらせ
「じゃあ、あの血は誰の血だったんだろう。もしや……もしや……」
五助はその先をいうことができなくなった。彼の身体はぶるぶるとふるえ始めた。
(ああ、するともしや……もしやあの血は、一造兄さんがピストルで誰かをうって、傷つけた血ではなかろうか。そうなると、兄さんは人をピストルでうったことになる。いや、ひょっとしたらそれよりも悪いことなのではなかろうか。兄さんが人殺しをした! ああ、そんなことではないのかしら)と、五助は思いなやんでそこに立っていられなくなり、土の上へどしんと尻餅《しりもち》をついた。
「あの血の型は、今いったとおり、A型でもなく、またO型でもなく、B型でもなく、AB型でもなかった」
「えっ、じゃあ……人間じゃなく、けだものの血かね」
人間の血液型は、四つに限っている。それのうちに入らなければ、あとはけだものではないのかと五助は首をかしげた。
「ある博士に調べてもらったが、けだものの血でもないのだよ」
ふしぎなことを彦太がいった。人間の血でもなく、けだものの血でもない。そんなことがどうして信じられようか。
――だが、彦太は何か自信をもっているらしく見えた。
その謎の正体は何?
兄の手帳
雪こそなけれ、一造兄さんのこもっていた穴は、ひんやりと肌さむい。
それに彦太が、血液型についてへんな話をはじめたものだから、五助は気味がわるくなって、背中に水をあびたようにぞっとした。
「五助ちゃんの手についていた血は、人間の血でもないし、けだものの血でもないことが分ったんだ。だからあの血は、兄さんのからだから出た血ではないから安心したまえ」
「兄さんの血でないと分ったのは、とてもうれしいよ」五助はほほえんだ。「しかし、人間の血でも、けだものの血でもないとすると、いったい何者の血だろうね。ああ気持が悪い」
「謎がそこにあるんだ。その謎をこれからぼくたちの手でときたいね」
「彦ちゃんには、すこしは見当がついているのかい」
「いいや、だめなんだよ」彦太は首をふったが「しかしねえ、ひょっとすると、あれはいつだか五助ちゃんがいった青髪山《あおがみやま》の魔神《まじん》の血じゃないかと思うんだ」
「魔神の血だって。魔神のからだにも血があるのかしらん」
五助は目を丸くして彦大の顔を見つめる。
「それはぼくの想像だよ。とにかくこの穴の奥へ入って、もっと探してみようじゃないか」
彦太は先に立って、穴の奥へ進んだ。穴は行きどまりのように見えた。だが、持ってきたつるはしをふるっで、土の壁を四五回掘ってみると、急に土ががらがらと崩れて、その奥に暗い穴があいた。
「やっぱりそうだ。この奥に穴がつづいているんだ」
二人は、電池灯をふりかざして、その奥へ足を踏み入れた。
「でっかい穴だね」
「兄さんが掘った穴ではないようだね。もうずいぶん古くからあった穴らしい」
穴の壁は岩のようにかたくなっていて、地質がちがっていた。いよいよ空気はつめたく、そしてどこからか滴《しずく》の落ちるような音がきこえた。彦太があっと叫んで、前へのめった。彦太の電池灯がふっと消えた。
「彦ちゃん。どうしたッ」
「なに、大丈夫。足がすべっただけだ。水が流れているよ」
五助はほっと安心して、灯を持って彦太のところへ近づいた。彦太は両手をはじめ膝のあたりを泥まみれにして起上るところだった。
そのとき五助は、彦太の足もとに小さい手帳が落ちているのを見つけたので、それは彦太が落としたものだと思い、彦太に注意をした。彦太はそれを拾い上げたが、それは彦太のものではなかった。
「ぼくんじゃないぞ」
「じゃあ誰のだろう」
「へんだねえ。こんなところに手帳を落とした者がいるなんて……」
二人は顔をよせて、その手帳のページをひらいて中をしらべた。
「あ、これは兄さんのだ」
「えっ、一造兄さんの手帳かい」
「そうだとも。文字に見おぼえがあるし――あ、ほら、そこにほくの名が書いてある」
なるほど、五助のいうとおりだった。『五助よ、気をつけよ、危険がせまっている、早くふもとへ引きかえせ……』
「あ、兄さんが、危険をぼくらに知らせているんだ」
「そうだ。よし、先を読もう」
二人はこわさも忘れて、その手帳にかじりつくようにしてその先を読んだ。それには次のようなことが走り書になっていた。
――五助よ、気をつけよ、危険がせまっている、早くふもとへ引きかえせ。
兄さんはゆだんをしていて失敗した。きょう(十二月二十五日)兄さんがかんそくしていると、とつぜん穴の奥がくずれる音がしたと思う間もなく、奥から怪しい灰色の人ともけだものともつかぬものがはいだしてきて、兄さんに組みついた。兄さんはこれを相手にたたかい、はじめのやつはたおした。しかしあとからまたぞろぞろとはいだしてきて、兄さんにかかってきた。すごい力の奴だ。兄さんはついにピストルをうった。それでようやく相手はひきさがったが、兄さんはざんねんにも両足を折られてしまって、動けなくなった。そこで手だけを使って穴を出ようとしたが、どうしてもだめだった。穴の中では電池がたおれ硫酸《りゅうさん》がこぼれているうえに、水でぬかるみとなり、しかも穴の外は高くなっていてとてものぼれない。ざんねんだ。お前の来てくれることを祈っている。
いったい何奴《なにやつ》だろう、思いがけなく穴の奥から現われた奴は?
人間とは思われない。からだは人間の二倍ぐらいもあり、灰色の毛がからだ中に生えていた。しかしけだものでもないと思う。ちゃんと両足で立ち、声を出して話をし、穴の上を蝙蝠《こうもり》のようにとぶのを見た。足は蛙《かえる》のように見えた。そしてくさい。なにか、瓦斯《ガス》みたいなものを出すのだ。たしかに高等な生物だ。
いったい何者だろうか。
そうだ、あれかも知れない。あれというのは、地球が四回氷河期をむかえたが、その前にこの地上にすんでいた高等生物の子孫ではないかと思う。その当時、彼らのあるものは地上がさむくなったため、地中へにげこんだのだ。そしてそれ以来ずっと地中で何万年もくらしていた前世紀の生物じゃないかと思う。それがひょっくりこの穴の奥から出て来たのではあるまいか。ふしぎなことだが有り得ないことでもないと思う。
そういえば、兄さんがこれまでにこの穴で地中を伝わる震動をかんそくして来たが、どうもあたりまえの地震ではないところのへんな震動が交っていた。兄さんはその謎をとこうと思い、誰にもいわないでその研究をつづけて来たわけだが、それはついにこのような悲劇をむかえることとなった。なにごとも運命である。――だが、兄さんはまだ息があるうちに世界中でまだ誰も知らない地中怪人族を見ることができて、うれしいと思う。この怪物どもだよ、青髪山の魔神といわれていたのは。あの足あと、あのあやしい空中飛行……。
みなで警戒しなければならない。もっとりっぱな研究者たちをここへ送るようにせよ。十分に警備隊をおいて、けがのないようにせよ。相手はなかなかゆだんがならない怪物だよ――
あっ、また怪物どもがおしよせて来たようだ。兄さんはもう助からない。ピストルの弾丸のつづくかぎりうって――もう二発しかないが――あとは彼らにからだをまかすしかない。さよなら五助。みんなによろしく。
[#地から3字上げ]一造
「ああ、かわいそうに。君の兄さんは最後のピストルを二発うって、怪物につかまったんだよ。ぼくらがもっと早く来ればよかった」
「いや、ぼくらが早く来れば、ぼくらもまた怪物につれていかれたかもしれない。兄さんはぼくたちの生命をすくってくれたことになるんだ」
「なるほど、そうだったね。五助ちゃん、もっと奥を探してみようか」
「いや、よそう。兄さんは、危険だから早くふもとへひきあげろと書置《かきおき》してある。さあ早く穴を出ようや」
「そうかい、ざんねんだなあ」
二少年は、思い切って穴から外にはい出した。ところが、そのすぐあとで、どういうわけか、とつぜん地鳴りとともに大山つなみが起った。そして穴のあったところはすっかり岩石の下にうまってしまった。二少年は生命《いのち》からがら山をかけ下って、ふもとの村へかえりついた。
怪物はそののち姿を現わさなくなったので、村人は無事に日を送っているという。
底本:「海野十三全集 第12巻 超人間X号」三一書房
1990(平成2)年8月15日第1版第1刷発行
初出:「東北少国民」河北新報社
1946(昭和21)年3月〜9月号
※この作品は初出時に署名「丘丘十郎」で発表されたことが解題に記載されています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2001年11月12日公開
2006年7月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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