赤耀館事件の真相
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)赤耀館《せきようかん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)百人|宛《ずつ》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)赤耀館事件の真相[#「赤耀館事件の真相」に丸傍点]
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「赤耀館《せきようかん》事件」と言えば、昨年起った泰山鳴動して鼠一匹といった風の、一見詰らない事件であった。赤耀館に関係ある人々の急死が何か犯罪の糸にあやつられているのではないかと言うので、其筋では二重にも三重にも事件の調査を行ったのであったが、いわゆる証拠不充分の理由をもって、事件は抛棄《ほうき》せられたのであった。東京の諸新聞は、赤耀館事件の第一報道に大きな活字を費したことを後悔しているようだったし、中でも某紙の如きは、近来警視庁が強い神経衰弱症にかかっている点を指摘し、この調子では今に警視庁は都下に起る毎日百人|宛《ずつ》の死者の枕頭《ちんとう》に立って殺人審問をしなければ居られなくなるだろうなどと毒舌《どくぜつ》を奮《ふる》い、一杯|担《かつ》がれた腹癒《はらい》せをした。
 しかし探偵小説に趣味を持っている私としては、諸新聞の記事を聚《あつ》め、又警視庁の調書も読ませて貰い、なるほど証拠不充分、乃至《ないし》は証拠絶無の事実を合点することが出来たのであったが、どうしたものか、事件の底に猶《なお》消化しきれない或るものが沈澱《ちんでん》しているような気がしてならなかった。このことは、その後、機会があるごとに、自分の左右に席を占める人達に話をしてみたが、誰も私ほどの興味を覚えている人はなかったようである。
 ところが昨日になって、私は突然、赤耀館主人と名乗る人からの招待状を受取った。その文面はすこぶる鄭重《ていちょう》を極めたもので、「遠路《えんろ》乍《なが》ら御足労を願い、赤耀館事件の真相[#「赤耀館事件の真相」に丸傍点]につき御聴取を煩《わずら》わしたく云々」とあった。赤耀館事件の真相と呼び、圏点《けんてん》まで打ってあるところを見ると、矢張り私の想像したとおりに、今日まで発表された事件の内容以外に、隠されている奇怪な事実があるのに違いない。私は勿論、喜んで拝聴に出かける旨《むね》を返事した。
 赤耀館は東京の近郊N村の、鯨ヶ丘と呼ばれる丘の上に立っている古風な赤煉瓦の洋館である。私もはじめて赤耀館を車窓から仰いだのであるが、正直なはなし、余りいい感じがしなかった。あの事件の当時の新聞記事によると「赤耀館は、鯨の背にとびついた赤鬼の生首《なまくび》そのものだ」とか「秋の赤い夕陽が沈むころ、赤耀館の壁体は血を吸いこんだ壁蝨《だに》のように真中から膨《ふく》れて来る」とか言われている。秋十月の落日は、殊に赤《レッド》のスペクトルに富んでいるせいもあろうが、西に向いた赤耀館の半面を、赤煉瓦の色とは見うけ兼ねる赤さに染めあげていた。その毒々しい赤さは、唯、不思議な気味のわるい赤さというより外に説明のみちがないのである。
 赤耀館の主人、松木亮二郎《まつきりょうじろう》は、思いの外、上品な、そして柔和な三十過ぎの青年紳士に見えた。しきりに、漆黒の髪が額に垂れ下るのを、細い手でかき上げるのが、なんとはなしに美しかった。私が夢から醒《さ》めきらぬような顔付をしているとて、にやにや笑ったが、愛想《あいそ》よく食後の葉巻煙草などをすすめて呉れた。高い天井には古風なシャンデリアが点いていたが窓外にはまだ黄昏《たそがれ》の微光が漾《ただよ》っているせいか、なんとなく弱々しい暗さを持った大広間だった。段々と気持も落付き、この上強いて気になることを神経質に数えあげるならば、主人公の顔貌《かおだち》が能面でもあるかのように上品すぎることと、その胆汁《たんじゅう》が滲《し》みだしたような黄色い皮膚と、そして三十女の婦人病を思わせるような眼隈《めのくま》の黝《くろ》ずみぐらいなものであった。しかし軈《やが》てそれさえすこしも気にならなくなった。というのは、主人公の語り出した所謂《いわゆる》「赤耀館事件の真相」なるものが私の想像以上に複雑とも奇々怪々ともいうべきものであって、飢え渇いていた私の猟奇《りょうき》趣味は、時の経つのも忘れてその物語を聞き貪《むさぼ》ったことである。
 さて、赤耀館主人は語る――。

 赤耀館の顛末《てんまつ》は、新聞記事で、既によくご存知のことと思います。いや、貴方はあの事件について、最も興味と疑惑とを持っていらっしゃることも、実はちゃんと前から知っていたのです。貴方は警視庁の調書まで読まれたそうですが、薩張《さっぱ》り満足せられていないように見受けたと、尾形警部が言っていましたよ。尾形警部と言えば、赤耀館事件の取調主任であった人です。
 貴方の異常な熱心さと、私の傾きかけた健康状態とが、とうとう今夕の機会を作りあげて呉れました。もはや御察しのとおり、あの赤耀館事件には、発表されていない怪事実が二重にも三重にもひそんでいるのでして、それを本当に知っているのは、私一人に違いないのです。実を言えば、私自身すら、まだはっきりと知ることの出来ない事件の一部分があるのではないかと思うのですが、それは多分、此の種の魅惑《みわく》に満ちた事件が発散する香気のようなものに過ぎないのでしょう。兎《と》も角《かく》も、赤耀館事件につき最も多くの事実を知っている者は、私を除いて外に絶対にあり得ないのですから……。
 この赤耀館という洋館は、誰が建てたものであるか、年代はいつ頃だったのか、それは不思議にも薩張り判っていません。しかし何でも大変古い赤煉瓦を使った洋館であることと、設計者が仏蘭西《フランス》人らしいということは噂になっています。出来たのは多分明治の初年か、またはもう二三年も前だろうと思われますが、そのころこの周辺は今よりも更に更に草深いところであって、其の当時、どうして人間が住むことが出来たろうかと、寧《むし》ろ不思議にたえません。その赤耀館を私の祖父に当る松木龍之進が大警視時代にどうしたものか手に入れてしまったのです。それは今から五十年も前のことなのです。勿論、自分のものにはしたものの、この中に住もうなどとは思っていませんでした。私の父の龍太の時代になって、東京が郊外に膨脹をはじめ、電車もひけるようになってから、初めて松木家の全家族がここに移り住むことになったのです。
 しかしそれからというものは松木家には不思議な魔の手が伸びたらしく、母が死ぬ、父が続いて亡くなる、妹が死ぬといった風でした。父は一人児だったし、母の里にも誰も生きのこっては居なかったので、私達の一家は全く心細い限りでした。不思議なことに、先代の赤耀館主人であった私の亡兄丈太郎の妻、つまり私にとっては嫂《あによめ》にあたる綾子《あやこ》も、係累《けいるい》の少い一人娘だったのです。嫂には姪《めい》に当る梅田百合子というのが唯一の親族でした。この百合子は、実は私の妻になっているのです。
 父母と妹とが亡くなってから此方十年あまりと言うものは、私達一家は割合に呑気に、そして幸福に暮していました。兄が前に申した綾子と結婚すると、私は間もなく独逸《ドイツ》へ遊学にでかけました。兄はたった一人の同胞に別れるのが大変に辛いと申しました。しかし兄は、長い間のはげしい恋をしてやっと獲ることの出来たいわば恋女房と、これからは差向《さしむか》いで暮すわけなのですから私は唯もう兄の弱気を嗤《わら》って独逸へ出発いたしました。それは今から三年前の冬のことなのです。私はカールスルーエの高等工学院に旅装をとき機械工学の研究のため学校の中に起居していました。そこでは人に応接する面倒もなく、穴蔵の中で自由な研究時間を持つことが出来ました。故国からは、たまに兄や嫂からの手紙を受けとりましたが、文面の隅から隅まで、まるで薔薇《ばら》の花片を撒《ま》きちらしたように、桃色の幸福に充ちて居り、不吉な泪《なみだ》のあとなどはどんなに透《す》かしてみても発見することができなかったのでした。赤耀館の悪魔は、もう十年この方、姿を現わさない。悪魔は我が家の棟《むね》から永遠に北を指して去ったものとばかり思って、すっかり安心をしていました。
 それだのに、一昨年の春になって、悪魔は突然、我が家のうちに再び姿を現わしました。悪いことには、悪魔は十年の間、血に飢えていたせいか、その呪《のろ》いの被害もこれまでに見られないほど残虐を極めたものでした。いわゆる「赤耀館事件」なる有難くない醜名を世間に曝《さら》すことになったのです。そして一昨年の春、くわしく言えば六月十日に、折柄来訪して来た笛吹川画伯の頓死《とんし》事件を開幕劇として怪奇劇は今尚、この館に上演中なのです。
 笛吹川画伯は、その日、午後三時をすこし廻ったと思う頃、赤耀館の玄関にひょっくりその姿を現わしました。執事《しつじ》の勝見伍策というのが出迎えましたが、直ちに私の兄で、赤耀館の当主であった丈太郎に取次ぎましたが、兄は舌打《したう》ちをして顔の色さえ変えました。勝見に会見の諾否を伝えようと思っている間に、入口の扉を乱暴に開くと、笛吹川画伯がぬからぬ顔を真正面に向けて入って来ました。
「無断で入って来ちゃ困るじゃないか」と兄は唇をワナワナふるわせて呶鳴《どな》りました。
「馬鹿を言え、貴様から礼儀だの修身だのというものを聞こうとは思わんよ」と大口を開いて高らかに笑い、無遠慮に側《かたわ》らの安楽椅子を引きよせました。勝見は顔を曇らせて此の室を去りました。
 それから時々激しい声音が、厚い扉《ドア》をとおして廊下にまで、きこえたそうです。笛吹川画伯は兄と以前はほんとに仲のよい親友だったのです。識《し》り合ったのは、そんなに古くからではなかったようですが、どこか大変性分の合うところでも発見したものか、二人は兄弟以上の親しさを加えました。それが嫂――当時の綾子嬢が二人の間に挟《はさ》まると、今度は恐ろしいほどの敵同志になってしまったのです。その激しい愛慾の闘争は、かれこれ半年もうちつづいたようでした。どうした風の吹きまわしか、綾子嬢は兄の腕にしっかり抱かれてしまいました。失恋した笛吹川画伯の様子は珍無類でした。彼は泪を滾《こぼ》したり、無口の人となる代りに、大層快活になり、能弁家になりました。一間に閉じこもって破れて落ちる文殻《ふみがら》を綴り合わせているどころの話ではなく、彼は毎日のように顎髯《あごひげ》をしごき乍ら、赤耀館へ憎々しい姿を現わしました。彼は兄の前で、皮肉と呪いの言葉を無遠慮に吹きかけては喜んでいるらしい様子でした。兄には彼が、この上もなく恐ろしい人間に見えました。あれ以来というものは、快活を装う半面に於て、不思議な魅力を加えた彼の眼光と、切々と迫る物狂わしい彼の言葉とは、地獄を故郷に持っているらしい画伯の正体を見せつけられたような気がするのでした。そうかと言って、兄はほんの少しだって、彼の失恋に同情心なんか起し得なかったのです。それは兄の無情のためというよりも、笛吹川画伯の態度があまりに同情を受けない程度の憎々しさに満ちていたがためでしょう。
 赤耀館の大時計がにぶい音響をたてて、四時を報ずると、兄の居間にあたって突然奇妙な声がきこえ、それに続いて瀬戸物《せともの》のこわれるような鋭い音がしました。そして五分も経ったと思われるころ、執事を呼ぶベルの音が階下に鳴りひびいたのでした。
 執事の勝見は私室から飛び出すと、階上の兄の室を指して、駆け出しました。何故彼がもっと前に、二階へ駆け上っていなかったのか、一寸不思議でなりません。
 勝見が兄の部屋の扉《ドア》を開くと、直ぐ足許に、笛吹川画伯が仆《たお》れているではありませんか。兄は椅子の中にうずくまった儘《まま》、顔には血の気もありません。
「い……医者を呼びましょうか」と勝見は兄の救いを求めるかのように、叫びました。
「待て……」と言って兄がふりあげた右手に、細身の短刀がキラリと光っ
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