「何だ、何だッ」
 昨夜《ゆうべ》とは違った当直の前にその男はひき据えられた。帽子を脱いだその男の顔を見て、駭《おどろ》いたのは熊岡警官だった。
「なあーンだ。君は妹の轢死体《れきしたい》を引取って行った男じゃないか」
「うん、隅田乙吉だな」見識《みし》り越しの刑事も呻った。「どうしたのか」
 たしかにそれは、隅田乙吉だった。昨夜の悠然《ゆうぜん》たる態度に似ず、非常に落着かない。何事か云いだしかねている様子《ようす》だった。
「何故、僕を見て逃げようとしたのだ。署の戸口《とぐち》を覗うなんて、何事かッ」
「いや申します、申上げます」熊岡警官の追窮《ついきゅう》に隅田はとうとう声をあげた。「実は大変な間違いをやっちまったんです」
「うむ」
「昨夜この警察へ出まして、妹梅子の轢死体を頂戴《ちょうだい》いたして帰りましたが、まあこのような世間様に顔向けの出来ない死《し》に様《よう》でございますから、お通夜《つうや》も身内だけとし、今日の夕刻《ゆうこく》、先祖《せんぞ》代々|伝《つた》わって居ります永正寺《えいしょうじ》の墓地《ぼち》へ持って参り葬《ほうむ》ったのでございます」
「それから…
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