…」
「葬《とむら》いもすみまして、自宅の仏壇《ぶつだん》の前に、同胞《きょうだい》をはじめ一家のものが、仏《ほとけ》の噂さをしあっていますと、丁度《ちょうど》今から三十分ほど前に、表がガラリと明いて……仏が帰って来たのでございます」
「なにーッ、仏が帰って来た?」警官の顔がサッと緊張した。いやな顔をして背中の方に首を廻した刑事もあった。
「死んだ筈《はず》の梅子が帰ってきたんです。こりゃ、てっきり化けて出たのだと思い、一同しばらくは寄《よ》りつきませんでしたが、いろいろ観察したり押問答《おしもんどう》をしているうちに、どうやら生きている梅子らしい気がして来ました。そこで寄ってたかって聞いてみますと、梅子のやつ情夫《じょうふ》と熱海《あたみ》へ行っていたというのです。それを聞いて同胞は、夢のように喜び合ったわけでございますが、一方に於《お》きまして、真《まこと》にどうも……」と隅田乙吉は下を向いて恐《おそ》れ入《い》った。
「莫迦《ばか》な奴ッ」と宿直が呶鳴《どな》った。「では昨夜本署から引取っていった若い女の轢死体というのは、お前の妹ではなかったというのだな」
「どうも何ともはや……」
「何ともはやで、済《す》むと思うかッ」宿直はあとでジロリと一座の署員を睨《にら》みまわした。昨夜の当直の名を大声で云って、(馬鹿野郎)と叩きつけたい位だった。他人の死骸を引取って行った奴も奴なら、引取らした奴も奴である。
「昨夜この男がデスナ」と側《かたわ》らの刑事が弁解らしく口を挿《はさ》んだ。「轢死婦人の衣類や所持品を一々|点検《てんけん》しまして、これは全部妹の持ち物に違いない。このコンパクトがどうの、この帯どめがどうのと本当らしいことを云っていったのです。ですから昨夜の当直も信じられたのだと思います」
「イヤ全《まった》く、あれは本当なのです」と隅田乙吉がたまりかねて声をあげた。「あれは出鱈目《でたらめ》でなくて間違いないのです。妹のものに違いないのですが、さっき漂然《ひょうぜん》と帰宅した本物の妹も、あれと同じ衣類を着、同じハンドバッグや、コンパクトなどを持っているのです。つまり同じ服装をし、同じ持ち物をした婦人が二人あったという事になるので、これは私どもには不思議というより外《ほか》、説明のつかないことなのです」
 これを聞いていた一座は、ギクリと胸に釘《くぎ》をうたれたように感じた。どうやらこれは単純な轢死事件ばかりとは云えぬらしい。
「しかし隅田」と当直は口を開いた。「兎《と》に角《かく》、お前は他人の屍体を処分してしまったことになるネ。あの轢死婦人の骨は持ってきたか」
「いや、それがです。実は火葬にしなかったのです」
「火葬にしなかった?」
「はい。私どもの墓地は相当広大でございまして、先祖代々|土葬《どそう》ということにして居ります。で、あの間違えたご婦人の遺骸《いがい》も、白木《しらき》の棺《かん》に納《おさ》めまして、そのまま土葬してございますような次第《しだい》です」
「ううん、土葬か」当直は、なあンだというような顔をした。「では直ぐに掘り出して、本署へ搬《はこ》んで来い。警官を立ち合わせるから、その指揮《しき》を仰《あお》ぐのだ。よいか」
 熊岡警官は、隅田乙吉について現場《げんじょう》へ出張することを命ぜられた。
 どうも、粗忽《そこつ》にも程《ほど》があるというものだ。いくら独《ひと》り歩《ある》きをさせてある妹だからといって、顔面《かお》が粉砕《ふんさい》してはいるが、身体の其の他の部分に何か見覚えの特徴があったろうし、また衣類や所持品が同じだといっても、そんなに厳密に同じものがあろう筈がない。これは警察の方でも屍体を持てあまし、早く処分したいと考えていたので、よくも検《しら》べず下《さ》げ渡《わた》したもので、引取人の乙吉が生れつきの粗忽者であることを知らなかったせいであると、当直《とうちょく》は断定した。そして熊岡警官が、婦人の屍体を掘りだしてくれば、再検査をすることによって、どこの誰だか判明するだろうと考えた。
 皆が出ていってから時間が相当経った。もう今頃は、隅田家《すみだけ》の墓地へ着いて暗闇の中に警察の提灯《ちょうちん》をふっているころだろう。掘りだした屍体がここへ帰ってくるまでには、まだ暇《ひま》があった。今のうちに喰べるものは喰べて置かないと、たとい若い婦人にしても、顔面のない屍体を見ると食慾がなくなるだろうと考えて、当直は夜食《やしょく》の親子丼《おやこどんぶり》の蓋《ふた》をとった。
 二箸《ふたはし》、三箸《みはし》つけたところへ、署外からジリジリと電話がかかって来た。
「当直へ電話です」と電話口へ出た見習《みならい》警官が云った。
「おお」当直は急いでもう一と箸、口の中に押しこむと、立
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