って卓子《テーブル》電話機をとりあげた。
「はアはア。……うん、熊岡君か。どうした……ええッ、なッなんだって? 墓地を掘ったところ白木の棺が出た。そして棺の蓋を開いてみると、中は藻抜《もぬ》けの殻《から》で、あの轢死婦人の屍体が無くなっているッて! ウン、そりゃ本当か。……君、気は確かだろうネ。……イヤ怒らすつもりは無かったけれど、あまり意外なのでねェ……じゃ署員を増派《ぞうは》する。しっかり頼むぞッ」
 ガチャリと電話機を掛けると、当直は慌《あわ》ただしくホールを見廻した。そこには一大事《いちだいじ》勃発《ぼっぱつ》とばかりに、一斉《いっせい》にこっちを向いている夜勤署員の顔とぶっつかった。
「署員の非常召集《ひじょうしょうしゅう》だッ」
 ピーッと警笛《けいてき》を吹いた。
 ドヤドヤと階段を踏みならして、署員の下《お》りて来る跫音《あしおと》が聞えてきた。
 当直は気がついて、喰べかけの親子丼に蓋をした。
 ――とうとう、本当の事件になってしまった。隅田乙吉の妹梅子に間違えられた轢死婦人は一体、どこの誰であるか。どうして、地下に葬った筈の屍体が棺の中から消え失せてしまったか。
 熊岡警官が保管している「茶っぽい硝子《ガラス》の破片《かけら》のようなもの」は何であるか。何故それが、轢死婦人のハンドバッグの底から発見されたか。
 さて筆者は、この辺でプロローグの筆を擱《お》いて、いよいよ「赤外線男《せきがいせんおとこ》」を紹介しなければならない。


     3


 Z大学に附属している研究所《ラボラトリー》に深山楢彦《みやまならひこ》という理学士が居る。この理学士は大学の方の講座を持ってはいないが、研究所内では有名の人物である。専攻しているのは光学《オプティックス》であるが、事務的手腕もあるというので、この方の人材《じんざい》乏《とぼ》しい研究所の会計方面も見ているという働き手であった。色は白い方で、背丈も高からず、肉附もふくらかであったので、何となく女性めき、この頃もてはやされるスポーツマンとは凡《およ》そ正反対の男であった。
 深山理学士が目下研究しているものは、赤外線であった。
 赤外線というのは、一種の光線である。人間は紫、藍《あい》、青、緑、黄、橙《だいだい》、赤の色や、これ等の交《まじ》った透明な光を見ることが出来る。この赤だの青だのは、ラジオと同じような電波であるが、ラジオの電波よりも大変波長が小さい。そのうちでも紫は一番短く、赤は比較的波長が長い。長いといっても一センチメートルの千分の一よりもまだ短い。ラジオの波は三百メートルも四百メートルもあって較《くら》べものにならない。
 ところで光線と名付《なづ》けられるものは、この紫から赤までだけではない。紫よりももっと波長の短い波があって、これを紫外線《しがいせん》とよんでいる。紫外線|療法《りょうほう》といって、紫外線を皮膚にあてると、人体の活力はメキメキと増進《ぞうしん》することは誰も知っている。一方、赤よりも波長の長い光線があって、これを赤外線《せきがいせん》と呼んでいる。赤外線写真というのが発達して軍事を助けているが、山の頂上から向うの峠を目懸《めが》けて写真をうつすにしても、普通の写真だとあまり明瞭《めいりょう》にうつらないが、普通の光線は遮《さえぎ》り、その風景から出ている赤外線だけで写真をとると、人間の眼では到底《とうてい》見透《みとお》しができない遠方までアリアリと写真にうつる。人間が飛行機に乗って、千葉県《ちばけん》の霞《かすみ》ヶ浦《うら》の上空から西南《せいなん》を望んだとすると、東京湾が見え、その先に伊豆半島《いずはんとう》が見える位が関の山だが、赤外線写真で撮すと、雲のあなたに隠れて見えなかった静岡湾《しずおかわん》を始め伊勢湾《いせわん》あたりまでが手にとるように明瞭《めいりょう》に出る。
 この紫外線も赤外線も、同じ光線でありながら、普通《ふつう》、人間の眼には感じない。つまり人間の網膜《もうまく》にある視神経《ししんけい》は、紫から赤までの色を認識することが出来るが、紫外線や赤外線は見えないといえる。
 見えないといえば、色盲という眼の病気がある。これは赤が見えなくて、赤い日の丸も青い日の丸としか感じない人達がいる。それは視神経の疾患《しっかん》で、生れつきのものが多い。ひどいのになると、七つの色のどれもが色として見えず、世の中がスクリーンにうつる映画のように黒と灰色と白の濃淡にしか見えない気の毒な人がいて、これを全色盲《ぜんしきもう》と呼んでいる。軽い色盲でも、赤と青とが判別出来ないのであるから、うっかり円タクの運転をしていても、「進め」の青印と、「止れ」の赤印とをとりちがえ、大事故を発生する虞《おそれ》がある。現に十年ほど
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