―それを考えると彼は安閑《あんかん》としていられなかった。そこで深山は、思い切って、ダリアが同じ室に寝泊りしているのを幸《さいわ》い、水素|瓦斯《ガス》を使って睡っている彼女を殺そうとしたが、水素乾燥用の硫酸の壜が爆発してダリアに目を醒《さ》まされ、不成功に終ってしまったのだ。
 ダリアはこの事を勿論《もちろん》感づいた。しかしだネ、彼女は悪魔だけに賢明だった。事を荒立《あらだ》てる代りに、一層《いっそう》深山の弱点を抑えて、徹底的にこれを牛耳《ぎゅうじ》ってしまう考えだった。ところがあの騒ぎによって彼女の身体に大きな異変が起った。それは飛んで来た硫酸に眼を犯され、右眼《うがん》は大した損傷《そんしょう》もなかったが、左眼《さがん》はまるで駄目になった。結局右眼一つというようなことになってしまった。しかし左眼が潰《つぶ》れたことが異変というのじゃない。左眼が潰れたために、残る一眼が急に機能が鋭くなったんだ。左右の肺の一つが結核菌に侵《おか》されて駄目になると、のこりの一方の肺が代償《だいしょう》として急に強くなり、一つで二つの肺臓の働きをするなどということは、医学上よく聞くことだ。それと似て、ダリアは左眼の明《めい》を失うと同時に、右眼の視力が急に異常な鋭敏さを増加した。元々ダリアの右眼は、左眼よりも物が赤く見えるといっていたが、赤い光線を感ずる神経が発達していたんだ。そんなわけだから、一眼《いちがん》になって異常な視神経の発達により、普通の人には到底《とうてい》見えない赤外線までが、アリアリと彼女の網膜《もうまく》には映《えい》ずるようになったのだ。普通の人が暗闇と思うところでも、ハッキリ視《み》える。――この異常な感覚を自覚したときのダリアの狂喜《きょうき》ぶりは、大変なものだったろう。しかしその狂喜は、同時に彼女の破滅を予約したものでもあった。ダリアは悪魔になりきってしまった。殺人淫楽者《さつじんいんらくしゃ》という恐ろしい犯罪者に堕《お》ちたのだ。そして赤外線が視えるということが、彼女を裏切って秘密曝露《ひみつばくろ》の鍵にまでなってしまった。それは後の話だがネ」
 そういって帆村は、何か恐ろしいことでも思い出したらしく、大きい溜息をつくと、ビールを口にもっていって、琥珀色《こはくいろ》の液体をグーッと呑《の》み乾《ほ》した。筆者《わたくし》は壜《びん》をと
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