ふる》えていましたが、幸《さいわい》にもその後、別に異変も起らず、やっと我れに返ったようなわけでした。いや何と申してよいか、あのように恐ろしいと思ったことはありませんでした」
そういって深山理学士は、大きい溜息《ためいき》をついたのであった。
「君は、そのとき、何か扉《ドア》の閉るような物音をききはしなかったかネ」と課長が尋《たず》ねた。
「そうです。そういえば、跫音《あしおと》らしいものが空虚な反響《はんきょう》をあげて、トントンと遠のくように思いましたが、別に扉がギーッと閉まる音は気がつきませんでした」
「ふふん、それはどうも……」課長は低く呻《うな》った。
「どうでしょうか、ちょっとお尋《たず》ねしますが」と事務員の一人がオズオズと進み出でた。「今の深山《みやま》先生のお話では、赤外線男が、この建物から扉を閉めて出て行った様子がございませんが、そうしますと、赤外線男はまだこの建物の中でウロついているのでございましょうか」
「そりゃ判らんね」と太った刑事が云った。「この辺にウロウロしているかも知れないが、また一方から考えると、赤外線男が建物から出てゆくときにゃ、別に所長さんに叱られるわけではないから、君のように必ず扉をガタンと閉めてゆくとは限らないからナ」
そのとき一人の刑事と何か囁《ささや》き合っていた雁金検事が、捜査課長の肩をつっついた。
「君、一つ発見したよ。この室《へや》の戸棚の隅に大きな靴の跡があったよ」
「靴の跡ですか」
「そうだ。これはちょっと変っている大足だ。無論、深山理学士のでもないし、またこれは男の靴だから、この室《へや》のダリア嬢のものでもない。寸法から背丈を計算して出すと、どうしても五尺七寸はある。それからゴムの踵《かかと》の摩滅具合《まめつぐあい》から云ってこれは血気盛《けっきさか》んな青年のものだと思うよ」
「検事さん、待って下さい」と捜査課長は慌《あわ》て気味《ぎみ》に云った。
「その足跡は果して犯人のでしょうか、どうでしょうか」
「それは勿論《もちろん》、いまのところ戸棚の隅にあったというだけのことさ」
「それにですな、赤外線男というのは、眼に見えない人間なんじゃないですか。その見えない人間が、足跡を残すというのは滑稽《こっけい》じゃないでしょうか」
「しかし君」と検事も中々負けてはいなかった。「深山君の報告によると、赤外線男
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