わさなかった。学士は一人でコツコツと組立を急いでいたけれど、十一時になると、もう気力《きりょく》が無くなったと見え、ペンチを機械台の上に抛《ほう》り出してしまった。
(どうして、白丘は出てこないんだろう?)
いろいろなことが、追懐《ついかい》された。何か本気で怒り出したのであろうか。それとも病気にでもなったのであろうか。考えているうちに、自分があの女学生に、あまりに頼《たよ》りすぎていたことに気がついた。ひょっとすると、自分はもうあの少女の魔術にひっかかって、恋をしているのかも知れない。
(莫迦《ばか》なッ。あんな小娘に……)
彼は身体を一とゆすりゆすると、実験衣のポケットへ、両手をつっこんだ。ポケットの底に、堅いものが触れた。
「ああ、桃枝《ももえ》から手紙が来ていたっけ」
今朝、用務員が門のところで手渡してくれた四角い洋封筒をとりだした。発信人は「岡見桃助《おかみとうすけ》」と男名前であるが、それは桃枝の変名であることは、学校内で学士だけが知っていた。開いてみると、どうやらそれは彼女の勤めているカフェ・ドランの丸|卓子《テーブル》の上で書いたものらしく、洋酒の匂いがしていた。文面は想像のとおり、彼の訪ねて来ないことを大変|寂《さび》しがっていること、今夜にでも店の方にでも、それともどっかで電話をかけて呼んで呉れれば直ぐ飛んでゆくからというような、当人達でなければ読んでいるに耐《た》えないような文句が縷々《るる》として続いていた。桃枝は学士の内妻《ないさい》に等しい情人《じょうじん》だった。彼は手紙を畳《たた》むと、ポケットへねじこんだ。
(今日はいっそのこと、仕事をよして、これから桃枝を引張り出しにゆこう)
深山《みやま》理学士が実験衣を脱いで、卓子《テーブル》の上へポーンと抛《ほう》り出したときに、廊下にコツコツと聞き覚えた跫音《あしおと》がして、白丘ダリアがやって来た。
「先生、先生」
扉《ドア》をあけてやると、ダリアは兎《うさぎ》のように飛びこんできた。
「先生|済《す》みませんでした。急用が出来たものですから……」
「一体どうしたというのです」深山理学士は桃枝のことなんか一時に吹きとばすように忘れてしまって、真剣な面持《おももち》で聞いた。
「警視庁から呼ばれて、ちょっと行ったんですけれど……」
「なに、警視庁へ」
「あたしのことじゃないんです
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