《いりよう》なのであるかと考えては、いけないであろうか」
 帆村は陶酔《とうすい》的口調で私に聴かせているのではなく、彼自身の心に聞かせているのであることが明らかだった。
「すると、そのあたりに、怪青年が隠れているというんだね」
「うん、一度入った者は、いつかは出てこなければならない。そうだろう。あとは根気競《こんきくら》べだ」


     3


 青年|漢于仁《かんうじん》は、今日も窓のそばに、椅子をよせて、遙かに光る西湖《せいこ》の風景を眺めていた。
 空はコバルトに晴れ、雲の影もなかった。このごろは毎日お天気つづきだった。
 湖の左手には、黛《まゆずみ》をグッとひきのばしたように、蘇提《そてい》が延々《えんえん》と続いていた。ややその右によって宝石山《ほうせきざん》の姿がくっきりと盛上り、保叔塔《ほしゅくとう》らしい影が、天を指《さ》していた。いつ見ても麗《うるわ》しい西湖《せいこ》の風景だった。
 だが、いつ見ても変らぬ風景だったことが、漢于仁《かんうじん》には物足りなかった。それにこの室の窓は、非常に厚い壁を距《へだ》てた彼方に開いていたので、自然《しぜん》、視界が狭く、窓下《そうか》を覗《のぞ》くことも叶《かな》わなかった。
 この室は、漢于仁の故郷であるところの浙江省《せっこうしょう》は杭州《こうしゅう》の郊外、万松嶺《ばんしょうれい》の上に立つ、直立二百尺の楼台《ろうだい》のうちにあって、しかもその一番高いところにあった。近代風の試みから、この室の天井は、厚い曇り硝子《ガラス》を貼りつめてあるので、日中は朝から晩まで、陽の光がさし、硝子を透《とお》して大空の青さが見えるようであった。
 せめてこの室の南側《なんそく》に、もう一つの小窓でもあいていたら、そこからは、風致上《ふうちじょう》よろしくはないかも知れないが、銭塘江《せんとうこう》の賑《にぎ》やかな河面《かめん》が、近眼の彼にも、薄ぼんやり見えたことであろう。
(何故、自分の先祖は、この楼台《ろうだい》の頂上に、たった一つの小窓しか、明けなかったのだろう)
 漢于仁は、今から一千年も前に、この地を選んで、大土木工事を起した呉王《ごおう》の意中を測りかねた。だが当時は、唐の壊滅をうけたあとの乱国時代のことだから、いつ呉王を覘《ねら》って敵国の軍勢が、攻めよせてくまいものでもなかった筈だ。そのと
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