とりだすと、そう云った。
「神田仁太郎という男だネ」そういって、私は、帆村の室にかかっているブコバックの裸体画《らたいが》が、正午ちかい陽光《ようこう》をうけて、眩《まぶ》しそうなのを見た。
「あの袋小路には、カラクリがある」
「どんなカラクリだい」
「そいつは判らん。だが追々《おいおい》わかってくるだろう」
「神田仁太郎のことなら、小石川の、その何というのか心霊実験会《しんれいじっけんかい》みたいなところで訊《き》けばわかりやしないか」
「既にさっき調べてきた」帆村は苦りきって云うのだった。
「無論、住所は二人とも出鱈目《でたらめ》だった」
「あの神田という青年は、なんだって、あんな恰好で銀座裏なんかに現われたのだい。あれは神田氏だけの問題なので、気が変になったとか或いは酔払《よっぱら》っていたとか(ここで私はクスリと忍び笑いをしなければならなかった)そういったことだけなのか。それともあれが、もっと大きな事件の一切断面《いっさいだんめん》だとでも云うのかい」
「もちろん事件だ」帆村は言下《げんか》に答えた。「わるくすると、われわれの想像できないような大事件かも知れない」
「そんなことは、どうして判るのかい」と私は、帆村が迷惑《めいわく》かも知れないと思ったが、率直に尋《たず》ねた。
「それには色々の理由がある」帆村は、やっと気がついたように、一本の紙巻煙草をぬきだして、口にくわえた。「まず、あの怪青年の顔だ。あんなに特徴のある立派な顔は、珍らしいと思う。あれで悄悴《しょうすい》していなかったら、貴人《きじん》の顔だよ。それから例の心霊実験会だ。遂に一語《いちご》も吐《は》かなかった怪青年と落付いて喋《しゃべ》っていた曽我という男との間に、ほのかに感ぜられる特殊の関係、それにあの不思議な実験だ。また銀座裏で怪青年が僕になげつけた言葉は、戦慄《せんりつ》なしに聴くことはできない。何か怖ろしいことが、現《げん》に発生している」
「君は、僕の嗅《か》いだ目の醒《さ》めるような匂《にお》いのことも忘れちゃいないだろうネ」
「うん、あれは僕の想像に、裏書《うらがき》をしてくれるようなものだ」
「ボラギノールの薬壜《くすりびん》は?」
「ボラギノールの薬壜? そいつは僕の眼前《がんぜん》に見えるタッタ一本の縄だ、この一本の縄があるばかりに、僕はたちまち今日から何をなすべきかとい
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