信らしいものを得たのである。
 彼の実験は、ついに大成功を収めた。しかもむしろ意外といいたい簡単な勤労によって――。
 思索に苦しむよりは、まず手をくだした方が勝ちであると、さる実験学者はいった。それはたしかに本当である。
 でも、彼が思索の中に考えついた一見荒唐無稽の「生ける腸《はらわた》」が、こうして目の前のテーブルの上で、ぐるっ、ぐるっと生きて動いているかとおもうと、まったく夢のような気がするのであった。
 しかももう一つ[#底本では「しかしもう一つ」]特筆大書しなければならないことは、こうして彼の手によって大気中に飼育せしめられつつあるところの腸《はらわた》が、これまで彼が予期したことがなかったような、いろいろ興味ある反応をみせてくれることであった。
 たとえば、今も説明したとおり、この生ける腸《はらわた》が砂糖水をもっとほしがる素振りを示すなどということはまったく予期しなかったことだ。
 それだけではない。腸《はらわた》と遊んでいるうちに彼はなおも続々と、この生ける腸《はらわた》がさまざまな反応を示すことを発見したのだ。
 細い白金の棒の先を生ける腸《はらわた》にあて、それからその白金の棒に、六百メガサイクルの振動電流を伝わらせると、彼の生ける腸《はらわた》は急にぬらぬらと粘液をはきだす。
 それからまた、吹矢は生ける腸《はらわた》の腸壁の一部に、音叉でつくった正しい振動数の音響をある順序にしたがって当てた結果、やがてその腸壁の一部が、音響にたいして非常に敏感になったことを発見した。まずそこに、人間の鼓膜のような能力を生じたものらしい。彼はやがて、生ける腸《はらわた》に話しかけることもできるであろうと信じた。
 生ける腸《はらわた》は、大気中に生活しているためにその表面はだんだん乾いてきた。そして表皮のようなものが、何回となく脱落した。この揚句の果には、生ける腸《はらわた》の外見は大体のところ、少し色のあせた人間の唇とほぼ似た皮膚で蔽われるにいたった。
 生ける腸《はらわた》の誕生後五十日目ころ――誕生というのは、この腸《はらわた》が大気中に棲息するようになった日のことである――においては、その新生物は医学生吹矢隆二の室内を、テーブルの上であろうと本の上であろうと、自由に散歩するようになるまで生育した。
「おいチコ、ここに砂糖水をつくっておいたぜ」
 チコというのは、生ける腸《はらわた》に対する愛称であった。
 そういって吹矢が、砂糖水を湛えてある平皿のところで手を鳴らすと、チコはうれしそうに、背(?)を山のように高くした。そしてチコに食欲ができると、彼の生き物はひとりでのろのろと平皿の[#底本では「灰皿の」]ところへ匍ってゆき、ぴちゃぴちゃと音をさせて砂糖水をのむのであった。その有様は、見るもコワイようなものであった。
 かくて医学生吹矢隆二は、生ける腸《はらわた》チコの生育実験をまず一段落とし、いよいよこれより大論文をしたため、世界の医学者を卒倒せしめようと考えた。
 ある日――それはチコの誕生後百二十日目に当っていた。彼はいよいよその次の日から大論文の執筆にかかることとし、その前にちょっと外出をしてこようと考えた[#底本では「外出してこようと考えた」]。
 いつの間にか、秋はたけ、外には鈴懸樹の枯葉が風とともに舗道に走っていた。だんだん寒くなってくる。彼一人ならばともかくも今年の冬はチコとともに暮さねばならぬので電気ストーヴなども工合のいいものを街で見つけてきたいと思ったのだ。
 また買い溜をしておいた罐詰もすっかりなくなったので、それも補充しておきたい。チコのために、いろんなスープをさがしてきてやろう。
 彼はこの百数十日というものを、一歩たりとも敷居の外に出なかったのである。
「ちょっと出かける。砂糖水は、隅のテーブルのうえに、うんと作っておいたからね」
 彼は急に外が恋しくなって、チコに食事の注意をするのもそこそこに、入口に錠をおろし、往来にとびだしたのだった。

     誤算

 医学生吹矢隆二は、つい七日間も外に遊びくらしてしまった。
 一歩敷居を外に踏みだすと、外には素晴らしい歓喜と慰安とが、彼を待っていたのだ。彼の本能はにわかに背筋を伝わって洪水のように流れだした。彼は本能のおもむくままに、夜を徹し日を継いで、歓楽の巷を泳ぎまわった。そして七日目になって、すこしわれにかえったのである。
 チコの食事のことがちょっと気になった。日をくってみると、あの砂糖水はもうそろそろ底になっているはずだった。
「まあ一日ぐらいは、いいだろう」
 そう思って彼はまた遊んだ。
 その日の夕方、彼はなにを思ったか、足を○○刑務病院にむけた。そして熊本博士を訪問したのであった。
 博士は、吹矢があまりに人間臭い人間にか
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