、カレンダーごと、ごとんと奥へ開いた。そして一人の長身の紳士が、ぬっと立ち現れた。その手には写真の印画紙《いんがし》らしいものを二三枚もっているが、いま水から上げたばかりと見えて水滴《すいてき》がぽたぽた床のうえに落ちた。
(奥から出てきたこの人は、一体誰だろう?)と、風間光枝は心の中に訝《いぶか》った。
「やあ、どうも。たいへん早く来てくだすってありがとう。星野先生は、ちかごろずっと元気ですか」
「はあ。さようでございます」
「それは結構です」といって、その長身の紳士は光枝の前の椅子に腰を下ろして、じろじろこっちを見た。まだ光枝が名乗りもしないのに、紳士の方では、彼女のことを先刻《せんこく》知っているといったような態度を示しているのだ。どことなく薄気味《うすきみ》わるさが、彼女の背筋《せすじ》に匐《は》いあがってくる。
「失礼でございますが、貴方さまが帆村――帆村先生でいらっしゃいますか」
「ははあ、僕が帆村です」と無造作《むぞうさ》に答えて、「風間さんの背丈は、皮草履《かわぞうり》をはいたままで一メートル五七、すると正味《しょうみ》は一メートル五四というところで、理想型だ」
「えっ、いつそんなことをお測《はか》りになりましたの」と、光枝は思わず愕《おどろ》きの声をあげた。


   科学探偵の腕


 帆村探偵は、一向平気な顔で、
「これは内緒《ないしょ》ですが、貴女も探偵だからいいますが、僕のところでは、訪問者が入口のところに立ったとき、自動的に身長を測ることにしています。もちろん光電管《フォト・セル》をつかえば、わけのないことです。あの入口の上をごらんなさい。一・五七と、まるでレジスターのような数字が幻灯仕掛《げんとうじかけ》で出ているでしょうが」
「えっ、まあそんなことが……」光枝がふりかえると、なるほど入口の上の壁紙《かべがみ》に、一・五七という数字がでている。
「こうすれば、消えます」なにをしたのか、帆村がそういうと、数字はぱっと消えた。まるで魔術を見ているような塩梅《あんばい》だった。なるほど帆村探偵という人は変っていると、光枝は感心した。
「貴女は内輪《うちわ》の人だから、もう一つこれも御なぐさみにごらんにいれるかな。さあ、この写真はどうです」そういって帆村は、手にしていた水のまだ切れない三枚の細長い写真の表をかえして、光枝の方に押しやった。
「あら、まあ!」光枝は、自分でも後《あと》で恥《はず》かしいと思ったほど、頓狂《とんきょう》な声を出した。なぜといって、帆村がさしだした三枚の細長い写真には、表情たっぷりな光枝の半身像《はんしんぞう》が五六十個も連続的にうつっているのであった。それは正面と横とが同時にとれていた。よく見るとなんのこと、それは今しがたこの部屋に入って、この椅子に腰を下ろすときから始まって、終りのところは、すこし睡《ねむ》くなって口をあいて欠伸《あくび》をするところまで、いやにはっきりととれていたのであった。
「あら、まあ。あたくし、どうしましょう」風間光枝は、もう一度愕きの声を発した。
「きょう試験的に、この写真機を取付けてみたんです。ちょっと貴女《あなた》を材料に使ってみましたが、なかなかうまく撮《と》れる。一分間に六十枚まで撮れます。一つのレンズは、正面にあって、あの厚い辞書の中にあります。黒い紗《しゃ》のきれが前に貼ってあるから、こっちから見ても分りません。もう一つのレンズは、そのカレンダーの下の方に黒い波がありますが、そこに窓があいていて、扉の向うから撮るようになっている。いや案外簡単なものですよ」
 そういっただけで、帆村は光枝の表情の変化などについても一言も批評らしい口をきかなかった。それだけ光枝の方では、間が悪かった。
「先生は、お人がわるいんですのね」
「いや、どういたしまして。これが商売ですからね、そうじゃありませんか」帆村は、そういった後で、光枝の姿をじっと眺めていたが、やがて、
「ときに貴女は、なかなかいい身体をしていますね。うまそうな女というのは貴女のことだ。ちょっとこっちへいらっしゃい。誰も居ないから、大丈夫です」帆村はそういって、腰をうかすと、いきなり風間光枝の手首を握って、ひきよせた。
「まあ、先生」光枝は、愕きのあまり呼吸が停りそうになった。ここへ来る前、星野社長はわざわざ、帆村の潔癖《けっぺき》を保証したが、その話とはちがって、彼はとんでもない痴漢《ちかん》であった。六条子爵の場合よりも、もっともっと露骨《ろこつ》で下卑《げび》ている。光枝は、帆村と抗争《こうそう》しながら、そのとき脳裏《のうり》に電光の如く閃《ひらめ》いたものがあった。それは、傍《わき》の衝立《ついたて》の向うに、なにか手の放せない仕事をしているといった男のことを思い出したのだ。あの男は
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング