大花瓶は、ちゃんと元のところに置くようにしてくださいね」
「だって大花瓶は、きょう壊してしまったんじゃありませんか」
「だから、至急あとの品を補充するといっているじゃありませんか」
「ああ、また新しい花瓶がくるのですか」
「貴女も案外噂ほどじゃないなあ」
光枝は、それが聞えないふりをして、
「そして先生が持っていらっしゃるの」
「そんなことは、貴女が心配しなくてもいいです」
「先生、それから……」
「頼んだことだけはやってください。もっと気をつけているんですよ。失敬」帆村は、はなはだ不機嫌で、ろくに光枝の言葉を聞こうともせず、向うへいってしまった。
光枝は、妙にさびしい気持をいだいて、お屋敷へかえった。そのさびしい気持は、やがて一種の劣等感と変った。
(果して自分は、帆村のいったように探偵眼が鈍くて、当然旦那様の居間に起っているはずの什器の位置変化に気がつかないのだろうか)
光枝は、旦那様の居間へはいっていった。旦那様は、そこにいらっしゃらなかった。どこにいかれたのであろうか。来客《らいきゃく》かもしれない。機会は今だと思った彼女は、あたりを見まわして、誰もいないことを確《たし》かめると、つと木彫の日光陽明門の額の前に近よった。そもそも、この額一枚が、あの大花瓶の破壊以後に位置の変化をやった唯一の品物なのである。この額に、なにか重大なる意味がひそんでいるのだ。それは一体なんであろうか。
伸びあがって光枝が見ていると、その額はずいぶん大した彫物細工《ほりものざいく》であった。額の奥から、一番前に出ている陽明門の廂《ひさし》まで、奥行《おくゆき》が二寸あまりもあって、極めて繊細な彫《ほり》がなされてあった。これはよくある一枚彫なのであろうが、このように精巧緻密《せいこうちみつ》なものにはじめてお目にかかった。
だが、彫を感心しているばかりでは仕方がない。なにかこの額に関して秘密があるのである。それはなんの秘密であろうか。
「ああ、もしかすると……」そのとき光枝の頭に閃《ひらめ》いたのは、この部厚《ぶあつ》い一枚彫の陽明門が、じつは一枚彫ではなくて、陽明門のあたりだけが、ぽっくり嵌《は》めこみになっているのではあるまいか。そしてそれを外すと、この額が実は一つの箱になっている。つまり秘密の隠し箱である。
「きっと、そうかもしれないわ」光枝はそれをたしかめるために、
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