敷《し》いてあったが、それは小さくて、本棚の下は煉瓦《れんが》だけがむき出しになっていた。
「あれえ――」光枝は、大花瓶を手から離すときに、もっともらしい声をかけておいた。それから手を離したのであるが、なにしろ大きな花瓶のことであったから、かなり派手な音がして破片はあたりに飛び散り、その一つが彼女の脚に当った。とたんにびりびりと灼《や》きつくような痛味《いたみ》である。
「あっ、怪我をした!」チョコレート色の絹の靴下は、見るも無慙《むざん》に斜に斬れ、その下からあらわに出た白い脛《すね》から、すーっと鮮血《せんけつ》が流れだした。
(あ、困った)そのとき、厠《かわや》の扉が、はげしく鳴りひびき、中から旦那様が、茹蛸《ゆでだこ》のような頭をふりたてて出てきた。
「なんじゃ、なんじゃ。やっ、またギンヤか。なにを壊した。えっ、その棚のうえにあった大花瓶か。うーむ、それは……」とたんに旦那様の顔から血がさっと引いた。
「ううむ。――」と、旦那様は急にそわそわして、壊れた花瓶には目もくれず室内をぐるっと見まわした――が、そこで胸を拳《こぶし》でとんとん叩きながら、
「ああ、おどろいた」と呻《うめ》くようにいった。
 そこへ責任者のお紋をはじめ、お手伝いさんの一隊がばらばらと駆けつけた。
「あらまあ、またオギンさんが壊したの。きょうはこれで七つ目よ」
 光枝は光枝で、傷口をおさえて、その場に坐りこみ、
「あいたたた」と叫ぶ。旦那様は、光枝の負傷にやっと気がついた。
「おう、えらい怪我をやったな。そりゃ早く手当をせんといかん。ほら、この莨《たばこ》をもんで傷口につけろ。このハンカチでおさえて、そして医者を呼べ」
「あらまあ、オギンさん、怪我をしたの。天罰覿面《てんばつてきめん》よ」
「こら、なにをいっとるか。早くハンカチで結《ゆわ》えてやれ、それからこの壊れ物を早く片づけて――」と、旦那様はいったが、どうしたわけか急にまた周章《あわ》てて、
「おい、皆、早く向うへいけ。片づけるのはあとでいいから、早く向うへいけ」
「はい、はい」といいながら、お紋は光枝の怪我《けが》した脚にハンカチを結きつけようとしているのを見て、旦那様はさらに大きな声で、
「こら、ここで結えなくともいい。ギンヤを早く向うへ担《かつ》いでいけ。こら、早くせんか」
 旦那様が目に入れても痛くない筈《はず》のギンヤま
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