に充血させて呶鳴《どな》りちらしてはいるものの、一番冷静だった。
第三の犠牲者は三浦糸子と云った。可《か》なり上背《うわぜい》のある婦人で、クッションのように軟《やわらか》くて弾力のある肉付の所有者だった。銃丸は心臓の丁度真上にあたる部分を射って、大動脈《だいどうみゃく》を破壊してしまったものらしい。第一、第二の犠牲者に比して創口《きずぐち》はすこし上方にのぼっているのだった。三人の犠牲者は、いずれも左側の座席に腰を下ろしていたことが判った。そのうえ弾丸の射ちこまれた地点までが、物差で測《はか》ったようにピタリと一致していた。大江山警部の頭には、線路を距《へだ》てて、真暗な林に囲《かこま》れ立つ笹木邸の洋館が浮びあがってくるのを、払《はら》いのけることができなかった。
警部は数名の刑事を手許《てもと》によんで、一人一人に秘密の命令を耳打ちした。駅員には、上り電車がプラットホームに到着しても、車内に異状《いじょう》を認めない上でないと、乗客出入口の扉《ドア》を開いてはならないと命令した。
そのあとで警部は、今しがた第三の犠牲者のハンドバックから見付けてきた例の十字架に髑髏《どくろ》の標章《マーク》を、車内の明るい燈火《ともしび》の下で、注意深く調べた。前の二枚の標章《マーク》と合《あ》わせてこれで三枚になったのだった。警部の面《おもて》には困惑《こんわく》の色がアリアリと現れた。グッとその小布《こぬの》を掌《て》のうちに握りしめると、警部は、車外に出てザクリと砂利《じゃり》を踏んだ。
(おお呪《のろ》いの標章《マーク》よ)
警部は心の中でそう云って「ううむ」と呻《うな》り声《ごえ》をあげた。それを持っている人間ばかりが、どうして射殺されるのだろう。
窓外《そうがい》から弾丸を射ちこんだとすれば、その犯人は、なんという射撃の名人だろうか。呪《のろ》いの標章《マーク》を贈ったその人間を覘《ねら》うこと正確に、しかもその心臓を美事《みごと》に射ち貫《つらぬ》くことは、実に容易ならぬ技量である。だがこの悪意ある射撃は、世紀末的な廃頽《はいたい》せる現代に於《おい》て、なんと似合わしいデカダン・スポーツではあるまいか。
小暗《こぐら》いレールを踏み越えて、ヒラリとプラットホームに飛びあがった大江山警部の鼻先に、ヌックリ突立《つった》った男があった。
「大江山さん、豪《えら》いことになりましたね」
「おお、貴方は、探偵小説家の戸浪三四郎さんでしたな」と警部は云った。戸浪は洗いざらしの浴衣姿《ゆかたすがた》というだらしの無い風《ふう》をしていたのだった。警部は戸浪三四郎が、第一の射殺事件のときに指摘してくれたヒントが、唯今になって否定することのできない明確な事実を生んでいるのに、思いあたった(この探偵小説家の名論が聞けるものなら)。――それは溺れる者がつかむという藁《わら》以上のものであると、警部はみずからの心に弁解をして置いて口を開いた。「どうして、これへ来られましたな」
「これごらんなさい」そう云って彼の差出したのは、初号《しょごう》活字の大きい見出しのついた東京××新聞の号外だった。
[#ここから2字下げ]
省線電車に
大胆不敵な射撃手現わる
前夜と同一犯人か
[#ここで字下げ終わり]
とあり、今夜の二ツ木兼子射殺事件がデカデカに報道されてあった。間もなく第三の三浦糸子射殺事件が更に大々的活字で報道されるのかと思うと、警部の耳底《じてい》に、新聞社の輪転機の轟々《ごうごう》たる響がにわかに聞こえてくるようだった。
「射撃手――だって、新聞は云ってますぜ。これで三人ですね」
「若い女性ばかりを覘《ねら》う痴漢射撃手です」と警部は、ムッとして思わぬことを言い放った。「ときに貴方はエロ探偵小説もお得意のようでしたな。ハッハッ」
「冗談云っちゃいけません、大江山さん、貴方は隠しておいでのようですが、省線電車の射撃手は地獄ゆきの標章《マーク》を呉《く》れておいて殺すというじゃありませんか。三人の犠牲者はどこの人で、どこを通ってきたのかを調べると三人に共通なもののあるのが発見されると思いますよ。そいつをひっぱってゆくと、十字架と髑髏《どくろ》の秘密結社が出てくるんじゃないですか」
「秘密結社ですって?」
「そりゃ僕の想像ですよ」
戸浪三四郎は呪いの標章《マーク》についてもっと何かを知っているのだと、警部は悟《さと》った。小説家にも尾行をつけることだ。「探偵小説家は実際の犯罪をしない。それは、いつもペンを走らせて犯罪を妄想《もうそう》しているから、犯罪興奮力が鈍《にぶ》っているのだ」と云った人があるが果してそうだろうか。
「だが戸浪さん。犯人を解く謎は、そればかりではなく、沢山《たくさん》あるのですよ」
「謎がそう沢山あると思うのは、大間違いです」と戸浪は軽蔑《けいべつ》の口調をあらわして云った。「僕は案外単純な事件だと思うが……」
「戸浪さん、貴方は弾丸が車内で射たれたか又は車外から射ちこんだか、どっちと考えていますか」
「それですよ、大江山さん。僕は昨日その質問をうけたとき、車外説をもち出しました。今夜の殺人の話をきいてみますと、三人が三人とも同じ地点で、同じ右側にかけた人が、同じく心臓を射たれたそうですね。それは車内で射ったとしてもあり得ることですが、その正確なる射撃ぶりから推《お》して、何か車外の地点に、非常に正確な銃器を据《す》えつけて、機械的に的を覘《ねら》ったのだと考えた方が、面白くありませんか」
「すると、どんな機械なんでしょう」
「僕もよくは知りませんが、四・五センチの口径《こうけい》をもったピストルなんて、市場《しじょう》にはちょっと見当らない品です」
「ほほう、よく口径を御存知ですね」
「法医学教室にいる友人に聞いたのです。それで犯人は特殊な科学知識をもっていて、恐るべき武器を持っていると考えるのです。ピストルを消音にすること位は、わけはありません。発砲の火を隠すためには、相当長い管《くだ》をつかって、先に弾丸の出る小さい穴をあけとけばよろしい。専務車掌が窓外に火を見なかったというのも、こんな仕掛けをすれば説明がつきます。あとは、電気を使って発砲させることもできるでしょう」
「わかります!」と警部は、探偵小説家の途方もない想像力で煙《けむ》にまかれながら、合槌《あいづち》をうった。
「射撃手が跳梁《ちょうりょう》するのは、三人が三人とも申し合わせたように夜間に限るのはどうしたものでしょう。いいですか、これは面白い問題です。車内に殺人鬼《さつじんき》がいるのだったら、なにも夜分を選ばなくても、真昼間だって割合|空《す》いた電車があるでしょうから、射ちたくなる筈です。それがなくて夜に限るというのは、この精巧な器械を、或る地点に据えつける必要があるからなんです。器械や、犯人の姿を見られては困るからです」
大江山警部は、例の癖《くせ》をだして獣《けもの》のように呻《うな》っていた。その一方に、探偵小説家というものは、こんなにまで科学的でなければ勤《つと》まらないものかと、或る種の疑惑が湧いてこないでもないのだった。
「貴方はよくお調べですね」と警部が皮肉《ひにく》のつもりで云った。
「貴方が見逃しているところを拾って、事件を早く解決したいのです。僕も容疑者の一人だそうですからね。ハッハッ」
刑事が一人、馳《か》けてきた。
「課長どの、総監閣下のお電話です」
「ナニ総監の……」警部は渋面《じゅうめん》を作った。
「お気の毒ですなア」と戸浪が彼の背中をポンと叩いた。
総監は果して非常に不機嫌だった。大江山捜査課長は油汗《あぶらあせ》を拭《ぬぐ》う暇《いとま》もなく、水を浴びたような顔をして、縷々《るる》と陳述《ちんじゅつ》した。
「君は、目黒の笹木光吉の情婦《じょうふ》である赤星龍子が本郷《ほんごう》の小柴木《こしばぎ》病院で毎日耳の治療をうけているのを知っているか」と総監が突然言った。
「いや、存じませんが……」警部は耳の治療どころか、龍子が笹木の愛人であることも聞くのが始めてだった。
「そんなんじゃ困るね、君は」と総監のつっぱなすような声が受話器の中に反響した。「それから、戸浪三四郎が元浜松高等工業学校の電気科の先生をしていたことを知ってるか」
「ううウ」と警部は電話機に獅噛《しが》みついて呻《うな》った。「そそそれも存じませんが……」
「……」総監は無言だった。総監も呻っているのであろう。
「総監閣下、失礼ですが、誰がそんなことを申しましたか」
「帆村荘六《ほむらそうろく》氏じゃ、私立探偵の。いま私の邸に見えて居られる」
帆村荘六といえば、警部は知らぬ人でもなかった。まだ経歴の若い素人探偵だったが、モダーンな科学探偵術をチョコチョコふりまわし、事件を不思議な手で解決するので、少し評判が出てきた人だった。
「君が必要なとき、いつでも応援をして下さるそうだ。今、お願いしておこうか」
「いえ、それには及びません」大江山捜査課長は、泣きだしたいような気持をこらえて、断然《だんぜん》拒絶《きょぜつ》した。
6
大江山警部は電話をガチャリと切ると、しばし其の場に立ちすくんだ。考えてみるまでもなく、彼の立場はたいへん不運だった。彼は今度の事件で、どうしたものか、犯人の目星を一向につけることができなかった。昨日今日の事件ではあるが、林三平、倉内銀次郎、戸浪三四郎、赤星龍子、笹木光吉と疑いたい者ばかり多いくせに、犯人らしい人物を指すことができないのだった。唯今の総監の言葉から思いついたことは、電気の先生だった戸浪が相当《そうとう》頼母《たのも》しい探索をしていてくれるから、彼と同盟すれば、大いに便宜《べんぎ》が得られるであろうという見込みだが、但し戸浪自身が犯人の場合は全く失敗になるわけだった。戸浪に会って気をひいた上で決定しようと考えた。赤星龍子が笹木の愛人であるのは驚いたが、前後二回も、殺人のあった電車にのっていたのは、一寸《ちょっと》偶然とは考えられない。実は先刻部下に命じて置いた龍子の動静《どうせい》報告がきた上で、もすこし詳《くわ》しく考えてみたい。……
大江山警部は電話のある室を出て、階段をプラットホームに下りながら、懐中時計を出してみた。もう夜も大分《だいぶ》更《ふ》けて、ちょうど十時半になっていた。昨日の今頃突如として起った射殺事件のことを思いだして、いやな気持になった。すると、どこやら遠くで、非常|警笛《けいてき》の鳴るのをきいた、と思った。
彼は階段の途中に立ちどまった。
「ポ、ポ、ポ、ポッ」
ああ、警笛《けいてき》だ。紛《まぎ》れもなく、上《のぼ》り電車の警笛だ。次第次第に、叫音《きょうおん》は膨《は》れるように大きくなってくるではないか。彼は墜落《ついらく》するように階段を駆けくだった。そのとき丁度《ちょうど》、叫喚怒号《きょうかんどごう》する人間を積んだ上り電車が、驀地《まっしぐら》にホームへ滑りこんできたのだった。
「やられたかッ」警部は呶鳴《どな》った。
「また若い婦人です」と車掌が窓から叫んだ。
「窓があいているじゃないか、あれほど言ったのに」警部は真赤になって憤慨した。
「エビス駅を出るときには閉っていたんです」
「よォし、では乗客を禁足《きんそく》しとくんだぞ」
「わかりましたッ」
大江山警部は、若い婦人の屍体《したい》が転《ころが》っているという二輌目の車輌の前へ、かけつけた。窓がパタリと開いて、多田刑事の泣いているような顔が出た。
「課長どの、殺されたのは赤星龍子です」
「えッ、赤星龍子が――」
総監から注意のあったばかりの女が殺された。警部自身が大きい疑問符を五分ほど前にふったその女が殺されたのだった。警部は車中へ入ってみた。
「課長どの」と多田刑事は警部をオズオズと呼んで、この車輌の一番先端部にあたる左側客席の隅《すみ》を指《さ》した。
「ここの隅ッ子に龍子が腰を下ろしていました。向い側の窓はたしかに閉っていたんですが、ビール会
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