意を喚起《かんき》するのに充分だった。
「無線と雑音の研究」を思いたったHS生は、東海道線大磯駅から程とおからぬ山手に住んでいる人だった。彼の家にはラジオ受信機があったが、ラジオを聴いていると、それが聴きとれないほどのガリガリッという大きな雑音が、一日にうちに数十回入ってくるのだった。彼はラジオに雑音の起る時刻を測ってみたところ、それは毎日きまった時刻にガリガリッと鳴ることを発見した。それから、探求《たんきゅう》を進めてゆくと、雑音の原因は、家の前を通る列車の電気機関車が、架空線《かくうせん》に接触するところで、小さい火花を生ずるためで、殊《こと》に大きい雑音は、架空線の継《つ》ぎ目《め》のところで起ることが判った。その結果、受信機で雑音を数えながら、時計をみていると、列車が毎時幾キロメートルの速度《スピード》で走っているか、又列車はどの地点を走っているかが、家の中に居ながらして、手にとるように判るというのである。HS生は、大磯附近の地図や雑音の大きさを示す曲線図を沢山|挿入《そうにゅう》して、これを説明してあった。
「こりゃ面白い発見だ」と大江山警部は、思わず独言《ひとりごと》を言った。「だが、この記事が、なにになるというんだ」
なにか省線電車射撃事件に関係があるようでいて、さァそれはどういう関係だと聞かれると、説明ができなかった。ただ漠然《ばくぜん》たる一致が感じられるばかりだった。警部は、それを、自分の科学知識不足に帰《き》して、ちょっと忌々《いまいま》しく感じたのだった。それにしても、一体誰がこの雑誌を送ってよこしたのだ。
また扉《ドア》を叩くものがあった。部下の多田刑事であることは開けてみるまでもないことだった。応《おう》と答えると、果して多田刑事が入ってきた。彼の喜びに輝いている顔色はなにごとかを発見してきたのに違いない。
「課長! とうとう面白いものを見付けてきました。これです」多田は、そう云って、小さい紙包を、大江山警部の前に置いた。
警部は、それを手にとって開いてみると、二個の薬莢《やっきょう》だった。
「ほほう、これはどこにあった」
「現場附近の笹木邸《ささきてい》の塀《へい》の下です」
「待て待て、これが弾丸《だんがん》に合うかどうか」と警部はやおら立って傍《かたわ》らの硝子函《ガラスばこ》から弾丸をつまみ出すと薬莢に合わせてみた。果然《かぜん》、二つはピタリと合って、一つのものになった。警部が硝子函からとり出したのは、殺された一宮かおるの体内から抜きとった弾丸だったので、多田刑事の拾ってきたのは、紛《まぎ》れもなく、その弾丸を打ち出した薬莢にちがいないと思われる。薬莢が二個で、弾丸は一個――そこに謎がないでもなかったが。
「お手柄だ。そして笹木邸をあたってみたかい、多田君」
「早手廻《はやてまわ》しに、若主人の笹木|光吉《こうきち》というのを同道《どうどう》して参りました。ここに大体の聞書《ききがき》を作って置きました」
そう云って、多田刑事は、小さい紙片《しへん》を手渡した。警部は獣《けもの》のように低く呻《うな》りつつ、多田の聞書というのを読んだ。「よし、会おう」
案内されて、室へ静かに姿をあらわした笹木光吉は、三十に近い青年紳士だった。色は黒い方だったが、ブルジョアの息子らしく、上品ですこし我《が》が強いらしいところがあった。
「飛んだ御迷惑をかけまして」と大江山警部の口調は丁重《ていちょう》を極《きわ》めていた。「実は部下のものが、こんなものを(と、二個の薬莢と一個の弾丸を示しながら)拾って参りましたが、薬莢の方はお邸の塀下に落ちて居り、弾丸は、ここに地図がありますが、線路を越してお邸《やしき》の向い側にあたる草叢《くさむら》から拾い出したのです。お心あたりはございませんか」
そう云って刑事は、白い西洋紙の上に、三品をのせて差し出した。多田刑事は、課長の出鱈目《でたらめ》に呆《あき》れながら、青年の顔色を窺《うかが》った。
「一向に存じません」と笹木はアッサリ答えた。「指紋が御入用《ごいりよう》なら、遠慮なく本式におとり下さい」
大江山警部は、笑いに、赭《あか》い顔を紛《まぎ》らせながら、白い西洋紙をソッと手許《てもと》へひっぱったのだった。
「九月二十一日の午後十時半には、どこにおいででしたか、承《うけたまわ》りたい」
「家に居ましたが、もう寝ていました。私はラジオがすむと、直《す》ぐ寝ることにして居りますから……」
「おひとりでおやすみですか」
「ええ、どうしてです。私のベッドに、独《ひと》り寝ます。妻は、まだありません」
「誰か、当夜ベッドに寝ていられてのを証明する人がありますか」
「ありますまい」
「十時半頃、何か銃声みたいなものをお聞きになりませんでしたか」
「いいえ。寝ていましたので」
「御商売は?」
「JOAKの技術部に勤めてます」
「JOAK! アノ放送局の技師ですか」大江山警部の顔面筋肉《がんめんきんにく》がピクリと動いた。
「そうです、どうかしましたか」
「『ラジオの日本』という雑誌を御存知ですか」
「無論知っています」
「貴方のお名前は光吉《ひかりきち》ですか」
「光吉《こうきち》です」
「大磯に別荘をお持ちですかな」
「いいえ」
「だれかに恨《うら》みをうけていらっしゃいませんか」
「いいえ、ちっとも」
「邸内に悪漢が忍び入ったような形跡《けいせき》はなかったですか」
「一向にききません」
大江山警部は、さっぱり当りのない愚問《ぐもん》に、自《みずか》ら嫌気《いやけ》がさして、鳥渡《ちょっと》押し黙った。
「省線電車の殺人犯人は、まだ見当がつかないのですか」と反対に笹木光吉が口を切った。
「まだつきません」と警部は、ウッカリ返事をしてしまった。
「銃丸《たま》は車内で射ったものですか、それとも車外から射ちこんだものなんですか」
「……」警部はむずかしい顔をしただけだった。
「銃丸を身体の中へ打ちこんだ角度が判ると、どの方角から発射したかが識《し》れるんですが、御存知《ごぞんじ》ですか。殺されたお嬢さんは、心臓の真上を殆んど正面からうたれたそうですが、正確にいうとどの位の角度だけ傾《かたむ》いていましたかしら」
「さあ、それは……」警部はギクリとした。彼は屍体に喰《く》い込んだ弾丸の入射角《にゅうしゃかく》を正確に測ろうなどとは毛頭《もうとう》考えたことがなかった。「それは面白い方法ですね」
「面白いですよ、いいですか、これが電車です。電車の速度をベクトルで書くと、こうなります、弾丸の速度はこうです……」と笹木光吉は、三角|定規《じょうぎ》を組合わしたような線を、紙の上に引いてみせて、「これが弾丸《だんがん》の入射角《にゅうしゃかく》です。分解するとどの方向からとんで来たか、直ぐ出ます、やってごらんなさい」
[#図1、電車と弾丸の速度の関係図]
「あとからやってみましょう」
と警部は礼を言った。
「射たれたとき、お嬢さんの身体はすこし右に倒れかかっていたそうですね」
「ほう、それをどうして御存知です」警部は驚愕《きょうがく》を強《し》いて隠そうと努力するのだった。
「あの晩、邸へ遊びに来た親類の女が云っていました。殺されたお嬢さんの直ぐ前に居たのだそうです」
「ああ、それでは若《も》しや日本髪《にほんがみ》の……」
「その通りです」
「その御婦人はどこに住んでいらっしゃいます」
「渋谷《しぶや》の鶯谷《うぐいすだに》アパート」
「お名前は?」
「赤星龍子《あかぼしりゅうこ》」
5
大江山警部は、夜に入っても、捜査課長室から動き出そうとしなかった。事件に関係のありそうな「謎」は後から後へと山積《さんせき》したものの、これ等《ら》を解くべき「鍵《キー》」らしいものは一向に見当らないのだった。
この上は恥《はじ》を忍び、あえて満都《まんと》の嘲笑《ちょうしょう》に耐えて、しっかりした推理の足場を組みたてて事件の真相を掴《つか》まなければならない。警部はその第一着として、笹木光吉の残して行ってくれた弾丸の飛来方向《ひらいほうこう》の計算にとりかかった。
改めて電話で、法医学教室へかおるの創管《そうかん》の角度は正確なところ、幾度となってるかを問いあわしたり、鉄道局を呼び出して、エビス目黒間に於ける電車の速度変化を訊《たず》ねたりして、数字を知ると、懸命に数式を解いた。なるほど、弾丸の飛来方向がちゃんと出て来たので現場を中心として、鉛筆でその方向に長々と直線をひっぱった。それは線路に、ほとんど九十度をなして交《まじわ》る方向だった。そして、なんとその弾丸線は、笹木邸の北隅《きたすみ》を貫いているのである。しかも弾丸線のぶつかった塀の下こそは、部下の多田刑事が、薬莢をひろってきた地点だったではないか。その地点から、電車の窓までの最短距離は僅々《きんきん》五十メートルしかなかったのだった。小さなピストルでも、容易に偉力《いりょく》を発揮できるほどの近さだった。
それにしても、みすみす自分の邸が疑惑の的《まと》になると知りながら、この計算法を教えていった笹木光吉の真意というものが、警部にはサッパリ解らなかった。彼は、課長室の椅子にふんぞり反《かえ》って、大きい頭をいくたびとなく振ってみたものの、笹木の好意と悪意とが互いに相半《あいなか》ばして考えられるほかなかったのだった。
ジリジリと喧《やかま》しく課長室の卓上電話が鳴ったのは、このときだった。
「課長どのですか」そういう声は、多田刑事だった。
「そうだ、多田君どうした」
「あの赤星龍子を渋谷からつけて、品川行の電車にのりました。八時半でした。すると、私と赤星龍子の乗っていた車輌に、また殺人事件がおこりました」
「なに、人が殺された。銃創《じゅうそう》かい」
「そうです。若い婦人、二《ふた》ツ木《ぎ》兼子《かねこ》という名前らしいです。弾丸のあたったのは、矢張り心臓の真上です」
「よし、直ぐゆく。乗客は禁足《きんそく》しといたろうな」
「それが皆、出ちまったのです。あまり早く駅についたものですから……」
「馬鹿!」
大江山捜査課長はカンカンに怒って、四十|哩《マイル》で自動車を飛ばして、待避線《たいひせん》に収容された死人電車にとびこんでいった。
「課長、こっちに殺されています」と悄気《しょげ》かえった多田刑事が案内した。
「龍子はどうした」
「目黒で降りたようです」
「屍体なんか、どうでもよいから、今度からは龍子を其の場でとりおさえるんだぞ」
「課長、例の十字架に髑髏《どくろ》の標章《ひょうしょう》の入った小布《こぬの》が、死体の袂《たもと》の中から出てきました」
第二の犠牲者二ツ木兼子は二十歳あまりの和服すがたの丸ぽちゃ美人だった。
「弾丸は、この窓から、とんで入ったらしいです」
「地点はどうかッ!」
「昨日の一宮かおるの場合と全く同じなんです」
「ううむ」警部は呻《うな》った。
「専務車掌は倉内銀次郎か、どうか」
「違います。倉内は今日非番で、出てこないそうです」
そう言っているところへ、赤と金との筋の入った帽子を被《かぶ》った助役《じょやく》が、真蒼《まっさお》になって、とびこんできた。
「警視庁の方、ももも申し上げます」
「どうしたかッ」大江山警部は、ギョッとふりかえって、一喝《いっかつ》した。
「唯今、プラットホームへ入って来た上《のぼ》り電車で、乗客がまた一名射殺されました」
「なに、又殺されたッ、女か男か」
「奥様風の二十四五になる婦人です」
「上り電車の窓は皆締めるよう、エビス駅長へ警告しろッ」
「ハッ、でもこの暑さでは……」
「しっかりしろ、暑さよりも生命じゃないか、助役君」
待避線《たいひせん》にはガラ空《あ》き電車が二組も窮屈《きゅうくつ》そうにつながった。駅は上を下への大騒ぎだった。駅員はもとより、しっかりしていなければならない警官たちまでが、常識を喪《うしな》ったかのように、意味なく騒ぎまわった。捜査課長大江山警部だけは、眼を真紅《まっか》
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