股の一部に灼《や》けつくような視線を送りながら、今この少女が起きあがって、どのような魅力のある羞恥《しゅうち》をあらわすことだろうかと、期待をいだいた。だが、一同の期待を裏切って、少女はなかなか起き上ろうとしなかった。ピクリとも動かなかった。
「様子がヘンじゃありませんか、皆さん!」
 そう云って立ち上ったのは、商人体《しょうにんてい》の四十近くの男だった。一座は俄《にわ》かにザワめいて、ドヤドヤと少女の周囲に馳けよった。
「早く起してやり給え」
 こう云ったのは、探偵小説家戸浪三四郎のうわずった声音《こわね》だった。
「モシモシ、娘さん」と甲斐甲斐《かいがい》しく進みでた商人体の男は、少女の肩を、つっついた。無論、少女はなんの応答《いらえ》もしなかった。さらばと云うので、彼氏は右手を少女の肩に、それから左手をしたから少女の胸に差入れて、グッと抱《かか》え起した。少女の頭はガクリと胸に垂れ下った。ヌルリと滑った少女の胸部《きょうぶ》だった。
「呀《あ》ッ」抱きおこした少女を前から覗《のぞ》いた男が、顔色をかえて、背後の人の胸倉《むなぐら》に縋《すが》りついた。
「血だ。血――血、血、血ッ」その隣りの男が、気が変になったように声を震《ふる》わせて叫んだ。
「ヒエッ!」商人体の男は吃驚仰天《びっくりぎょうてん》して、前後の考えもなく、少女の身体をその場にドサリと抛《ほう》り出した。
 戸浪三四郎がこれに代って進み出ると、少女の身体をソッと上向きに寝かせた。人々の前に、少女の美しい死顔《しにがお》が始めてハッキリと現れたのだった。左胸部を中心に、衣服はベットリ鮮血《せんけつ》に染っていた。その上、床の上に二尺四方ほどを、真紅《まっか》に彩《いろど》っているところをみると、出血は極めて瞬間的に多量だったものと見える。
「車掌君はいないか。駄目らしいが、一応早く医者に見せなくちゃいけない」
 そこへ車掌が来た。
「皆さん、ずっと後《あと》へ寄って下さい。電車は只今、全速力で次の駅へ急がせていますから……」
 言葉の終るか、終らないうちに、電車は悲鳴に似たような非常警笛をならして、目黒駅の構内に突入して行った。電車が停車しない前に、専務車掌の倉内銀次郎はヒラリとプラットホームに飛び降り、駅長室に馳けこむなり、医者と警視庁とに電話をかけた。その間に電車は停り、美少女の倒れた第四輌目の乗客は全部、外に追いだされた。


     3


 駆けつけた附近の医者は、電車の床《ゆか》の上に転《ころが》った美少女に対して、施《ほどこ》すべき何の策《すべ》をももたなかった。というのは、彼女の心臓の上部が、一発の弾丸によって、美事《みごと》射ちぬかれていたから。弾丸は左背部の肋骨にひっかかっているらしく、裸にしてみた少女の背中には弾丸の射出口《しゃしゅつぐち》が見当らなかった。「銃丸《じゅうがん》による心臓貫通――無論、即死《そくし》」と医者は断定した。
 惨死体《ざんしたい》を乗せた電車は、そのまま回避線《かいひせん》へひっぱり込まれ、警視庁からは大江山捜査課長一行が到着し、検事局からは雁金《かりがね》検事の顔も見え、係官の揃うのを待ち、電車をそのまま調室《しらべしつ》にして取調べが始まった。
 大江山警部は、やや青ざめた神経質らしい顔面を、ピクリと動かして、専務車掌の倉内銀次郎を招いた。
「倉内君、君に判っている一と通りを話してきかせ給え」
「ハァ、それはこうなんです」と彼は、係官の前の小机《こづくえ》の上に、線路図や、電車内の見取図を拡《ひろ》げて、彼が乗客の注意で、殺人の現場にかけつけてのちに見た事柄や、乗客から聞いたそれ以前の話など、既に読者諸君が御存知の事実を述べた。
「君は、事件の起ったときに、どの位置に居たかネ」大江山警部は訊問《じんもん》した。
「ハッ、やはりあの第四輌目に居りましたが、車掌室が別になっているもんで、早く気がつきませんでした」
「君は車掌室のどの辺に居たか」
「右側の窓のところに頭部を当てて立って居りました」
「事件の前後と思われるころ、何かピストルらしい音響をきかなかったか」
「電車の音が騒々《そうぞう》しいもので聞きとれませんでした」
「君は窓外の暗闇《やみ》に何かパッと光ったものを認めなかったかい」
「ハッそれは……別に」
「君の位置から車内が見えていたか」
「見えていません。カーテンが降りていましたから……」
「車内へ入ってから、銃器から出た煙のようなものは漂《ただよ》っていなかったか」
「御座いませんでした」
「車内の乗客は何人位で、男女の別はどうだった」
「サア、三十名位だったと思います。婦人乗客が四五人で、あとは男と子供とでした」
「その車の定員は?」
「百二名です」
「これは参考のために答えて貰いたいん
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