だが、あの際、銃丸は車内で発射されたものか、それとも車外から射ちこんだものか、何《いず》れであると思うかね、君は」
大江山警部が、少女の射ち殺された頃の事情を一向|弁《わきま》えぬ専務車掌に、こんなことを聞くのは、愚問の外のなにものでもないと思われた。
「車内で射ったんでしょうと思います」
専務車掌の倉内は、警部の愚問に匹敵《ひってき》するような愚答《ぐとう》を臆面《おくめん》もなくスラリと述べた。
「じゃ君は何故、あの車輌に居た乗客を拘束《こうそく》して置かなかったのか」
「……只今《ただいま》になってそう気が付いたもんですから」
「そう思う根拠は、なにかね」
「別に根拠はありませんが、そんな気がするんです」
「それでは仕方がないね。なんだったら、ここに居られるあの時の乗客有志を一時退場ねがった上で、君の考えをのべて貰ってよいが……」
車内に居た乗客の多くは、事件に係合《かかわりあい》になるのを厭《いや》がったものと見え、死人電車が目黒駅のプラットホームに着くと、バラバラ散らばってしまい、このところまで随《つ》いてきたのは僅か二人だった。その一人は、左手を少女の血潮で真赤に染めた商人|体《てい》の四十男で、もう一人は探偵小説家の戸浪三四郎だった。
「ばば馬鹿を言っちゃいかん」と其の商人体の男が、たまり兼ねて口を差入れた。「いま聞いてりゃ、車内の者が射ったということだが君が出て来たのは随分経ってからじゃないか。そんなに後《おく》れ走《ば》せに出てきて何が判るものか。第一、あたしはあの車内に居たが、ピストルの音をきかなかった。ね、あなたも聞かなかったでしょう」と戸浪三四郎の方を振りかえった。
戸浪は黙って軽く肯《うなず》いた。
「ほら御覧なせえ、鉄砲|弾《だま》は窓の外から飛んできたのに違《ち》げえねえ。あまり根も葉もないことを言って貰いたかねえや。手前《てめえ》の間抜けから起って、多勢《おおぜい》の中からコチトラ二人だけがこうして引っ張られ、おまけに人殺しだァと証言するなんて、ふざけやがって……」
「これ林三平さん、静かにしないか」と、車掌に喰ってかかろうとする商人体の男を止めたのは、大江山警部だった。「戸浪三四郎さんから何か別な陳述《ちんじゅつ》を承《うけたまわ》りたいですが」
「僕はすこし意見を持っています。先刻《せんこく》申しあげたように探偵小説家という立場から僕は申すので、或いは実際と大いに違っているかも知れません。僕は殺された美少女、――一宮《いちみや》かおるさんと云いましたかネ、かおるさんの直ぐ向いに居たのですが、確かにピストルの爆音を耳にしませんでした。ですが、ちょっと耳に残る鈍《にぶ》い音をきいたんです。さよですなア、空気をシュッと切るような音です。きわめて鈍い、そして微《かす》かな音でした。これはどうやら右の耳できいたのです。右の耳というと、電車の進行方面の側の耳です。その行手には、倉内君の居られた車掌室があります。またその右の耳のある隣りには二尺ほど離れて、日本髪の婦人が腰をかけて居りました。そんなことから思い合わせると、弾丸《たま》は僕の身体より右側の方からとんで来たと思われます。林さんは僕よりずっと左手に居られたので関係はないようです。車内で射ったとすれば、私も嫌疑者《けんぎしゃ》の一人でしょうが、僕より右手にいた連中も同時にうたがってみるべきでしょう。日本髪の婦人は勿論のこと、失礼ながら倉内車掌君も同類項《どうるいこう》です」
「すると貴方は、車内説の方ですか」と大江山警部が尋ねた。
「いえ、寧《むし》ろ僕は車外説をとります。弾丸《たま》は車外から射ちこまれ、例の日本髪の婦人と僕との間をすりぬけて、正面に居た一宮かおるさんの胸板《むないた》を貫《つらぬ》いたのです。シュッという音は、銃丸《じゅうがん》が僕の右の耳を掠《かす》めるときに聞こえたんだと思います」
「もう外に聞かしていただくことはありませんか」
「現場に居た人間としては、もう別にありません。老婆心《ろうばしん》に申上げたいことは、あの現場附近を広く探すことですな。もしあの場合|銃丸《たま》が乗客にあたらなかったとしたら、銃丸は窓外へ飛び出すだろうと思うんです。いや、そんな銃丸が既に沢山落ちているかもしれません。そんなものから犯人の手懸りが出ないかしらと思います。屍体《したい》もよく検《しら》べたいのですが、何か異変がありませんでしたか」
「いや、ありがとう御座いました」と警部は戸浪三四郎の質問には答えないで、彼の労を犒《ねぎら》った。
4
大江山捜査課長は、警視庁の一室で唯《ただ》ひとり、「省線電車射撃事件」について、想念を纏《まと》めようと努力していた。
戸浪三四郎が「一宮かおるの屍体に異常はないか」と聞いた
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