のすみでふるえあがった。
春木少年はいままで一度も、四馬頭目にあったことはない。しかし、異様《いよう》なその風態《ふうてい》は、牛丸平太郎からなんども聞かされていた。鬼にもひとしい四馬頭目の残忍《ざんにん》ぶりは、戸倉老人や牛丸平太郎から、耳にたこができるほど聞いていた。
その四馬頭目が、警官たちに包囲された、万国堂の天窓から、忽然として現れたのだ。春木少年はびっくりすると同時にあっけにとられた。四馬剣尺はいままでどこにかくれていたのだろう。いやいや、それにもまして不思議なのは、猫女や小男はどうしたのだろう。……
春木少年が茫然《ぼうぜん》として、窓のなかに立ちすくんでいるとき、万国堂の屋根に立った四馬剣尺、かくし持った懐中電気をうえに向けると、虚空に三度輪をえがいた。と、同時に、ヘリコプターからバラリとおりてきたのは一条の縄梯子《なわばしご》。四馬剣尺はヨタヨタとその縄梯子に手をかけた。
ああ、このまま捨てておけば、四馬剣尺は逃げてしまう。……
春木少年はたまらなくなって、窓から乗りだして大声で叫んだ。
「ああ、警部さん、こっちです、こっちです。悪者《わるもの》は屋根のうえから逃げていきます」
ちょうどそのとき四馬剣尺は、屋根をはなれて、春木少年の鼻のさきまできていたが、その声をきくとズドンと一発! 春木少年はあっと叫んで床のうえに身を伏せた。
しかし、春木少年の叫ぶまでもなく、警部の一行もヘリコプターの爆音に気がついていた。それ、屋上《おくじょう》が怪しいというのでバラバラと屋根のうえへあがってきたが、無念! ひとあしちがいで四馬剣尺は、縄梯子にブラ下ったまま、ゆうゆうとして虚空を逃げていく。
ズドン、ズドン! 警官たちの手から、いっせいにピストルが火をふいたが、もうこうなれば後《あと》の祭《まつり》だ。四馬剣尺のブラ下ったヘリコプターは、折からの半月の空を、しだいに遠く、小さく、すがたを消した。
ヘリコプターの爆音が、遠ざかるのを待って、床から這いあがった春木少年、非常梯子《ひじょうばしご》づたいに万国堂の屋根へおりていくと、
「ああ、君か、さっき電話をかけてきたのは……せっかく注意してもらいながら、残念にも悪者はとりにがしたよ」
と、秋吉警部が歯ぎしりしながらくやしがっている。
「えっ、それじゃ、小男や猫女もにがしたのですか」
「小男や猫女……そんな、妙《みょう》なやつはどこにもいないぜ」
「そんなはずはありません。天窓から逃げだしたのは、横綱のような大男です。小男や猫女は、たしかにまだ万国堂のなかにいるはずです」
春木少年の言葉に、警官たちや少年探偵団の同志が手分して、万国堂の隅から隅までさがしてみたが、小男も猫女も、どこにもすがたが見られなかった。
ああ、いるべきはずの小男や猫女がすがたを消して、いるはずのない四馬剣尺が、忽然として万国堂の天窓から現われたというのは、いったい、どういうわけであろうか。……
春木少年はそのことについて、深くかんがえこんでいたが、やがて思いだしたように、
「それはそうと、この家の主人、チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]さんはどうしたのですか」と、警部にたずねた。
「ああ、チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]か。あの男は可哀《かわい》そうに、ひどい目にあわされているよ。まあ、こっちへきてみたまえ」
警部に案内されて、奥のひと間へ入ったとたん、春木少年は思わずあっと、ハンカチで顔をおさえた。部屋のなかの大火鉢《おおひばち》には、炭火《すみび》がかっかっとおこっていて、あたりいちめん、肉のこげるような匂《にお》いが充満《じゅうまん》しているのだ。
「見たまえ。チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]の足を……あの足を炭火のうえにのせ、拷問《ごうもん》していたんだ。ひどいことをするやつもあればあるもんじゃないか。まったく鬼だよ、悪魔だよ」
見れば椅子にしばりあげられたチャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]の足は、いたいたしく火ぶくれがして血がにじんでいる。チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]はこの拷問にたえかねて、ぐったりと気をうしなっているのだったが、ひと眼、その顔をみたとたん、春木少年は思わずあっと床からとびあがった。
「あっ、こ、こ、これは戸倉老人!」
ああ、チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]とは戸倉老人の変装《へんそう》だったのである。
怪船《かいせん》黒竜丸《こくりゅうまる》
話変って、こちらは四馬頭目を救いだしたヘリコプターである。
海岸通りの万国堂のうえをはなれると、進路をしだいに西にとり、須磨《すま》から明石《あかし》のほうへやってきたが、そこで急に進路をかえると、南方の海上へでていった。そして、淡路島《あわじしま》の東海岸ぞいに、大阪湾の出口のほうへでていったが、やがて淡路の島影から、意味ありげに明滅《めいめつ》する灯火《あかり》をみると、しだいにその上空へすすんでいった。
ヘリコプターに向って、発火|信号《しんごう》をしているのは淡路の島かげに停泊《ていはく》した、三百トンくらいの小汽船《しょうきせん》、その名を黒竜丸という。
ヘリコプターは黒竜丸のうえまでくると、ピタリと進行をとめ、しだいに下降してくる。やがて縄梯子のさきが甲板《かんぱん》にふれると、四馬剣尺はよたよたと、縄梯子から甲板におり立った。それを見て、バラバラとそばへ寄ってきたのは木戸と仙場甲二郎。波立二はヘリコプターの操縦をしているのである。
四馬剣尺は甲板に仁王立《におうだ》ちになり、
「おまえたちは向うへいけ。それから五分たったら、机博士をおれの部屋へつれてこい。よいか、わかったか。わかったら早くいけ」
「しかし、首領《かしら》、首尾はどうだったのです。本物の黄金メダルの半ペラは、手に入ったのですか」
「そんなことはどうでもいい。早くいけといえばいかんか」
首領はわれがねのような声で怒号《どごう》した。これは四馬剣尺の不機嫌《ふきげん》なときの特徴である。そんなときにうっかりさからうと、毒棒《どくぼう》の見舞いをうけるおそれがある。さわらぬ神に祟りなしとばかりに、木戸と仙場甲二郎は、こそこそと甲板から下へおりていったが、そのすがたが見えなくなってから、四馬剣尺はよたよたと歩きだした。
不思議なことに、四馬剣尺、いついかなる場合でも、自分の歩くところを乾分《こぶん》のものに見られるのを、ひどく嫌うくせがあった。唯《ただ》一度、机博士にレントゲンにかけられたときいっしょに博士の部屋までいったが、そのときとても毒棒で、机博士を脅《おど》かして、決してうしろを向かせなかった。そして、部下にあうときは、いつもあの竜の彫物《ほりもの》のある大きな椅子によっているのだ。
それはさておき、五分たって木戸と波立二が、机博士をひったてて頭目の部屋へ入っていくと、四馬剣尺はいつものように、大きな椅子にふんぞりかえっていた。
「どうだ、机博士」四馬剣尺はわれがねのような声で、
「肩の傷はなおったか。貴様があんなところへメダルをかくしておくものだから、つい荒療治《あらりょうじ》もせにゃならん。しかも貴様があんなに苦労して、手に入れたり、かくしたりしていた黄金メダルの半ペラが、贋物《にせもの》だったというのだから、こんないい面《つら》の皮《かわ》はない。は、は、は、人を呪《のろ》わば穴二つとはこのことだな」
「ちがう、ちがう、そんなはずはない」
木戸と波立二に、左右から手をとられた机博士は、金切声《かなぎりごえ》をふりしぼった。
「あれが贋物だなんて、そんな、そんな……あれは時代のついた古代金貨《こだいきんか》だ」
「そうよ、時代のついた古代金貨だ。しかし、やっぱり贋物なんだ。まあ聞け、机博士、そのわけをいま話してやろう」
四馬剣尺はゆらりと椅子から乗りだすと、
「貴様も知ってのとおり、あのメダルは、海賊王デルマが、埋《うず》めた財宝のありかをしるして二つにわり、ひとつをオクタン、ひとつをヘザールというふたりの部下に譲《ゆず》ったのだ。このヘザールの子孫《しそん》というのがこのおれ、即ち四馬剣尺様だ。それからオクタンの子孫というのが、あの戸倉八十丸《とぐらやそまる》じゃ。ヘザールの子孫もオクタンの子孫も、宝をさがして東洋の国々を遍歴《へんれき》しているうちに、代々東洋人と結婚したから、しだいに東洋人の血が濃《こ》くなっていったのじゃ。ところで、海賊王デルマにはもう一人、ツクーワという部下がおったが、こいつは肚黒《はらぐろ》いやつで、デルマを裏切ったことがあるので、放逐《ほうちく》されて宝のわけまえにあずからなかった。それを怨《うら》んでツクーワは、ヘザールとオクタンの持っている半ペラを、しつこく狙っていたが、ただ一度だけ、オクタンの半ペラを手に入れたことがある。そのときツクーワはその半ペラの贋物をこさえておいたのだが、その後間もなく、オクタンにつかまり、殺されて、半ペラは本物も贋物も、ふたつともオクタンの手に入ったのじゃ。貴様が手に入れて、虎《とら》の子のように後生大事《ごしょうだいじ》にしていたのは、即ち、その昔ツクーワのつくった贋物で、しかも、ツクーワとは誰あろう、机博士、貴様の先祖だぞ。どうだ、これでわかったろう。先祖がつくった贋物に、子孫のものが欺《あざむ》かれる。世の中にこれほど滑稽《こっけい》なことがあろうか。わっはっはっ!」
われ鐘のような声で笑いとばされ、机博士はいっぺんにペシャンコになった。四馬剣尺はしばらく、腹をかかえてわらっていたが、やがてやっと笑いやめると、
「いや、しかし、机博士、おれはやっぱり貴様に礼をいわねばならぬわい。おれは今夜、戸倉のやつがチャンウーという中国人に化けていることを知って、忍びこんで、本物を吐きださせようと拷問《ごうもん》したが、強情《ごうじょう》なやつでとうとう吐きださなかった。それで、ものはためしに贋物で間にあわそうと思っているのだ。これがヘザールからつたわった扇型《おうぎがた》の半ペラ、これは本物だ。それからこっちが、机博士の肩の肉からでてきた、三日月型の半ペラ、こいつはいまいうとおり贋物だ」
と、四馬剣尺がデスクのうえにならべてみせた。二つの黄金メダルの半ペラをみて、木戸と波立二が思わずあっと顔見合せた。
「頭目、そ、その扇型のやつはどうしたのです。それはいつか、猫女めに横奪《よこど》りされたはずじゃありませんか」
木戸の言葉に、四馬剣尺ははっとした様子だったが、すぐさりげなくせせら笑って、
「なに、猫女から取りもどしたのよ。たかが知れた猫女、取り戻すのに雑作《ぞうさ》はないわい。さて、この半ペラをふたつあわすと、われ目も文句もぴったりあう、だから、ここに彫ってあるこの文句は、贋物とはいえ、本物どおりに彫ったにちがいないと思うんだ。みろ、これが苦心《くしん》の末《すえ》、おれが翻訳した文章なのだ」
四馬剣尺が、ふところより取りだした紙片《かみきれ》をみて、机博士は禿鷹《はげたか》のようにどんらんな眼を光らせた。
そこには、こんなことが書いてある。
[#ここから2字下げ、文章は横組み、「三日月型の分」が左側、「扇型の分」が右側に配置されている、罫囲み]
三日月型の分[#「三日月型の分」は太字]
わが秘密を
とする者はいさ
人して仲よく
り聖骨を守る
のあとに現われ
メダル右破片
左の穴に同時
ただちに
強く押すべし
正しく従うなら
らの前に開かれん
扇型の分[#「扇型の分」は太字]
うけつがん
かいをやめ両
ヘクザ館の塔にのぼ
二匹の鰐魚《がくぎょ》を取除きそ
たるそれぞれの穴に金
を右の穴に左破片を
に押入れ、それより
ふたつのメダルを
汝《なんじ》らわが命令に
ば金庫は自ら汝
[#ここで字下げ終わり]
戦闘準備
残虐な悪魔の頭目《とうもく》、四馬剣尺のために、両脚に
前へ
次へ
全25ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング