たのである。

   生命《いのち》がけの脱出

 二少年と戸倉老人とは、たがいに助けあって、山また山をわけて逃げた。
 本道《ほんどう》へでると、六天山塞《ろくてんさんさい》の悪者どもに見つかるおそれがあるので、道もないところを踏み分け、わざわざ遠まわりをして逃げた。山のことは、さいわいにもこの土地生れの牛丸少年がたいへんくわしいので、方向をあやまるようなことがなかった。山塞を抜けでたのが、朝の八時ごろであった。それから太陽が一番高くなる正午に近くまでの約四時間を、三人は強行《きょうこう》して逃げた。
 腹が減《へ》ってならなかったが、戸倉老人はさすがに用意がよく、腰につけてきた包みの中から、チョコレートとビスケットを出して、二少年に分けあたえた。おいしかった。谷間の水にのどをうるおしながら、三人は、あらたな元気をふるい起し、それから又もや苦しい行進をつづけた。
 牛丸少年の考えでは、思い切って西の方へ迂回《うかい》し、タヌキ山から山姫山《やまひめやま》の方へでて、それを越えて千本松峠《せんぼんまつとうげ》へでるのがいいと思った。しかしそこまでゆくには、今日いっぱいではだめだ。どうしても明日までかかる。今夜は山姫山のどこかで野宿するほかない。
 千本松峠へでれば、あと四時間ばかり下って、芝原水源地《しばはらすいげんち》の一番奥の岸につく。そこへゆけば、水道局の小屋もあるし、うまくいくと巡回《じゅんかい》の人がきているかもしれない。あとは心配ない。とにかく問題は、千本松峠へでるまでのところにある。方角はたぶんまちがえないですむと思うが一同の体力がつづくかどうか、きっとヘリコプターをとばして追跡してくるであろう、四馬剣尺の一味の目を、うまくのがれることができるかどうか、その二つにかかっているのだ。
 牛丸少年は、今日のうちに山姫山までたどりつかねばならぬという計画を他の二人に話し、その日の午後は、とくに前後に気をくばりながら、できるだけ強行進《きょうこうしん》をつづけてもらった。午後二時ごろと思われるときに、果して空の一角にぶーンと爆音が聞え、やがてヘリコプターが姿をあらわした。
「そらきたぞ。動いちゃいかん。ぜったいに動くな」
 戸倉老人が、叱りつけるようにいった。
 このとき三人は、背の低い熊笹《くまざさ》のおい茂った山の斜面《しゃめん》を下りているところだった。いじわるく、身をかくすに足る大木もない。そこで熊笹の中にうつ伏したまま、岩のように動かないことにつとめた。空から見下ろすと、背中がまる見えのはずであった。だから今にもだだだーンと、機関銃のはげしい掃射《そうしゃ》をくうことかと生きた心地もなかった。
 いいあんばいに、ヘリコプターは、こっちへ飛んでくる途中で、とつぜん針路《しんろ》を北へ曲げたので助かった。よもやこんな西の方まで逃げてきているとは思わなかったのであろう。きわどいところであった。
 ヘリコプターが追いかけてきたのは、その一回だけであった。タヌキ山を駆け下り、しばらく沢について歩き、それからいよいよ山姫山へのぼりだした。
 こののぼりの二時間が、一番苦しかった。険《けわ》しい斜面《しゃめん》で、木の根につかまって、すこしずつのぼっていくのであった。枯れ葉に足をとられて、せっかくのぼった斜面を、ずるずるとすべり落ちて、大損《おおぞん》することもあった。またぐちゃりと気味のわるい、山びるをつかんで青くなったことはいくたびか分らない。腹は減り、のどはかわき、目は廻った。もうこのへんでへたばって声をあげようと思ったこともたびたびであった。しかし自分が弱音《よわね》をはいては、他の二人をがっかりさせると思い、歯をくいしばってがんばった。みんながそうしたものだから、山姫山の嶮《けん》もついに征服して、やがて地形は、わりあいにゆるやかな斜面となった。そして山姫山の頂上にある、測地用《そくちよう》の三角点のやぐらが、夕陽《ゆうひ》を背負って、にょっきりと立っているのが見えてきた。三人は、疲《つか》れを忘れて足を早めた。
 山姫山の頂上に小屋があった。三角点のすぐわきのところである。これは陸地測量隊《りくちそくりょうたい》がかけていった小屋で、もちろん無人のときの方が多い。その空《あ》き小屋《ごや》に三人ははいって、その夜はここで一泊することにした。
 夕食の時刻がきているが、その用意はなかった。ただ戸倉老人は、チョコレートの残りと、それから三枚のするめ[#「するめ」に傍点]を持っていた。それをかじって、飢《う》えをしのいだ。
 日が暮れだした。もうでてもよかろうと、三人は小屋の外にでて、下界をながめた。はるかに芝原水源地が、ひょうたん形をして湖面《こめん》がにぶく光っている。明日の行程《こうてい》でたどりつく目的地の湖尻《こじり》の小屋が、豆つぶほどに見える。
(ここまでくれば、もう大丈夫だ)
 と、三人が三人とも、そう思った。入日《いりひ》の残光《ざんこう》が急にうすれて、夕闇《ゆうやみ》が煙色《けむりいろ》のつばさをひろげて、あたりの山々を包んでいった。と、東の空に、まん丸い月が浮きあがった。満月《まんげつ》だ。三人は危険《きけん》の身の上をしばし忘れて、ほのぼのと明るい月に向きあっていた。
 その夜、戸倉老人は、春木少年から黄金《おうごん》メダルに関するこれまでの話を聞き、少年が思いがけない苦労をしたことに深い同情のことばをかけた。そのあとで老人は二少年から問われるままに、海賊王デルマがこしらえた黄金メダルの二片について、彼の知っているだけの秘話《ひわ》を月明《つきあかり》の下で物語った。
「わしも、デルマの黄金メダルの秘密について、全部を知っているわけではない。もし全部を知っているものなら、こんなところにぐずぐずしていないで、さっそく宝を掘りあてることに夢中になっているはずじゃ。正直なところ、わしはデルマの黄金メダルの秘密については、おぼろげながらその輪廓《りんかく》を多少聞きかじっているにすぎない。かんじんの秘密は、どうしても例の黄金メダルの二片を集めた上でないと解《と》くことができないのじゃ。だからわしの話も、あんがいつまらんことなのじゃ」
 と、老人は二少年の熱心な顔を見くらべた。
「この前、春木君に渡した絹《きぬ》ハンカチは火に焼けて、三分の一しか残らなかったそうじゃが、わしはその文句を宙《そら》でおぼえている。ちょっとこの紙に書いてみよう」
 そういって老人は、ポケットから、チョコレートを包んであった紙をだし、そのしわをのばした。それから鉛筆の短いのを取出し、その先をなめるようにして次のような文章を書いた。
 かっこ[#「かっこ」に傍点]で囲んだところは、春木君の手にのこった焼けのこりの部分に残っていた文字である。

[#ここから3字下げ]
――この黄金メダルは二つの破片
より成るものにして、スペインの海
賊王デルマが死の床において、彼の
部下のうち最も有力なるオクタンと
(ヘザ)ールとに各々一片ずつを与え
(たる)ものなりと伝う。この破片を
(二つ合)わせたるときはデルマの秘
(蔵する宝)庫の位置およびその宝庫
(の開き方を知)ることを得るよしな
(り。オクタンとヘ)ザールは仲悪かり
(しため協力せず)、互いに相手の有
(する黄金メダルの)一片を奪わんも
(のと暗殺者を送)りしため、両人共
(斃《たお》れ黄金メダルは暗)殺者の手に移
(り、それより行方不明)になりたり
(ここにある一片はオ)クタンの所蔵《しょぞう》
(せし一片にして余は地中)海|某島《ぼうとう》に
(おいてこれを手に入れたる)ものなり
[#ここで字下げ終わり]

「まあ、こういうことなのじゃ。実はもう一枚このあとに絹ハンカチがあるのじゃ。これはわしが春木に渡すひまがなかったもので、六天山塞のきびしい取調べのとき、うまく見つけられないですんだものだ。それはわしの靴の中にしまってある。これがそうだ」
 そういって戸倉老人は、右の靴をぬぎ、踵《かかと》のところをしきりにいじっていたが、そのうちに踵のところに小さな四角い穴があいた。その中からひっぱりだしたのが、絹ハンカチのもう一枚だった。それに次のような文句が書いてあった。

[#ここから2字下げ]
――因《ちなみ》に海賊王デルマは、かつて日
本にも上陸したることありと伝う。
彼は大胆にして細心《さいしん》、経綸《けいりん》に富《と》むと
共に機械に趣味を有し、よく六千人
の部下を統御《とうぎょ》せり。また彼の部下ヘ
ザールは、デルマが去りし後も一年
有半日本に停《とどま》り、淡路島《あわじしま》とその対岸《たいがん》
地方を根城《ねじろ》として住みしが、日本人
には害を及ぼすことなかりしため彼
を恐ろしき海賊と知る者なかりし由《よし》
なり。彼は義《ぎ》に固《かた》く慎重《しんちょう》にして最も
デルマに愛せられたり。オクタンは
剛勇《ごうゆう》にして鬼神《きじん》もさけるほどの人物
なりき。
[#ここで字下げ終わり]

「どうだね。今読んだ文章の意味が分ったかね」
 戸倉老人は、そういって二人の少年の顔を見くらべた。
「分ったような、分らないような、どっちだか分らない」
 と、春木がいった。すると牛丸が笑った。それにつられて老人も笑った。春木も、なんだかおかしくなって、いっしょに笑った。
「それじゃ、もう一度話に直してしゃべろう。結局《けっきょく》ここに書いてあるとおりのことなんだが……」
 と、老人は、ことばに直して、同じことを復習して聞かせた。もちろん、ハンカチに書いてあるよりはくわしかった。しかし要領《ようりょう》は同じことであった。
「……あの黄金メダルの半ぺらを、わしが手に入れたときは、わしはある汽船に船医《せんい》として乗組んでいて、たまたま地中海を通ったのだ。そのときわしの乗っていた汽船が舵器《だき》に故障を起したので、その某島へ寄って修理をやった。そのために前後五日間そこに仮泊《かはく》していた。その間に、わしははからずも黄金メダルを手に入れたのじゃ。……どうしてそれを手に入れたか。そのことは、宝探しには直接関係のないことじゃから、おしゃべりしないでおくよ」
 老人は、そういってことばを結んだ。なにかいいにくいことがあるにちがいないと、春木はそう思った。
 とにかく、おどろくべきことだ。
 今までは、一片《いっぺん》の屑金《くずがね》にすぎないではないかと軽く見ていたが、こうしていわれ因縁《いんねん》を聞くと、海賊王デルマの死霊《しれい》が籠《こも》っているように気味のわるい品物に思えた。
「惜しいことをしました。あれを盗まれてしまって、まことに残念です」春木は、ほんとに残念でならなかった。
「まあ、よいわい。わしが自由の身になったからには、なんとかして取戻す方法がないでもないのじゃ。うまくいったら、君たちにも知らせてあげる。しかしこのことは、他の人には絶対秘密にしておくがよいぞ」
「はい」
 と春木はこたえた。しかし、彼はこのことを他の人々にもしゃべってしまったことを思い出して、苦しかった。もっともしゃべったのは、金谷《かなや》先生と四人の少年探偵の級友と、それからここにいる牛丸君だけにではあったが……。
「おじさんは、そのメダル探すあてがおまんのやな」
 牛丸少年がたずねた。
「うむ。まあ、そういう見当じゃ」
「どこだんね。骨董店《こっとうてん》やおまへんか。海岸通《かいがんどお》りの方の骨董店とちがいますか」牛丸は春木から聞いたチャンフー号の店の話を思い出して、あてずっぽうながら、いってみた。
「ほう」と戸倉老人は目を丸くした。「そんならその店の名をいってみなさい」
「万国骨董商《ばんこくこっとうしょう》のチャンフー号ですやろ」
 すると戸倉老人は卒倒《そっとう》せんばかりにおどろいた。チャンフー号の事件については、春木は牛丸には話したが、戸倉老人にはまだ話をしてなかったのだ。
「どうしてそれを知っているのか」
「あそこの店には、なんの品でもおます
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