集っているんだよ」なるほど、上では大ぜいの足音がいりみだれている。きっと首領がみんなを呼び集め、姿を消した自分の行方を探しているのにちがいない。
「きゅうくつだろうが、手をうしろへまわしてもらいましょう」猫女はおそろしく力強かった。机博士の手をかんたんにうしろへねじり、がちゃりと手錠《てじょう》をはめてしまった。
「君は、私をどうしようというんだ」
 猫女は、首領から黄金メダルの半ぺらを奪ったことがある。すると、猫女は首領の敵だ。自分も今は首領の敵になっている。それならば、猫女は自分と手をにぎって、味方同志になってもいいのだと思う。「猫女よ、なぜ私をいじめるんだ」といいたい、机博士だった。
「お前さんからもらいたいものがあるのさ。すなおに渡してくれないことは分っているから、こっちでお前さんの身体検査《しんたいけんさ》を行うわよ」
「なにッ。なにがほしいんだ」
 机博士が不安なひびきのある声でたずねたのに対し、猫女はこたえなかった。そしてくらがりの中で、博士の身体をしらべていた。室内には、電灯《でんとう》はついていないし、猫女は懐中電灯《かいちゅうでんとう》さえ使わない。全くのくらがりの中で猫女は、どしどし自分の仕事をすすめていく。猫女は、猫のように、くらがりの中でも目がきくらしい。それに気がついて、机博士の不安はつのった。
「ああ、これなのね、お前さんが鬼の首をとったように思って喜んでいたのは……」
 とうとう猫女は、目的物を探しあてたらしく、博士の下着のポケットから、小さいひとまきのフィルムを取出した。
「それはちがう。それは何でもない」机博士は、最後の努力をした。だが、猫女はそのフィルムを返そうとはしなかった。そして尚《なお》もつづいて身体検査をやりとげたあとで、
「さっき見つけたフィルムは、こっちへもらったよ。お前さんは器用なことをやってのける人だよ。チャンフーを殺したのも、お前さんじゃないのかい」と、博士をからかった。
「とんでもない。私がチャン老人を最後に見たときは、彼はこれから百年も長生きをするような顔をしていた。あの慾ばり爺《じじい》を殺したのは、私ではない」
「ふん。なんとでもいうがいい。でも、あたしはチャンフーの身内でもなんでもないから、お前さんに復讐《ふくしゅう》しようとは思わない。が、お前さんがやったかどうか、神さまが知っておいでだよ。だからさ、これから神さまのおさばきを受けるように用意をしてあげるよ」
 猫女は、へんなことをいった。机博士が、その言葉の謎をとこうとしていると、いきなり目かくしをされてしまった。もちろん猫女の仕業《しわざ》だった。ぎゅうぎゅうと二重に目の上をしばってしまった。机博士は恐怖におそわれ、それについて抗議をした。と、口の中へハンカチだか何だかを突っこまれた。あッとおどろいていると、口の上をぐるぐると布でまかれてしまった。もう声がだせない。猫女の手ぎわのよいことはおどろくばかりだった。
 それから猫女は、机博士の身体に、ロープをぐるぐるまきつけた。それがすむと女は博士の腰のところを叩いて、
「さあ、お歩きな。お前さんのこしらえておいた抜け穴から外へでるのだよ」
 なんでも知っている猫女だった。なんというすごい奴だろうと、ものがいえない机博士は、くやしさとおそろしさに、からだをふるわせるばかりであった。
 歩いて、穴の外へでた。ひやりと涼しい風が首すじに吹きつけたので、それと察した。いやまだある。眼かくしの布の下に、ほんのすこしばかりの隙《すき》があって、外の明るさが感じられた。これはさっき目かくしをされるときに、机博士は、顔をうんとしかめたのだ。その上に目かくしをされ、あとでしかめ面《つら》を元に直すと、すこし目かくしがゆるくなる。これは前から博士が知っていた術である。今うっすらと、足許《あしもと》の方の明るさが見える。明るさだけではなく、物の形が見えないものかと、博士は目かくしの下で、しきりに目をくしゃくしゃやってみた。
 しばらく彼のところを離れて、向こうでなにかやっていた猫女が、このとき博士のそばへもどってきた。
「さあ、こっちへおいで」博士は又歩かされた。ごつごつした岩の上を歩かされた。崖《がけ》の端《はし》までいくらも距《へだた》っていない。足を踏みはずしてはたいへんだ。
「そこでストップ。さて、これから二三秒の間、息をとめているがいいよ」
 猫女が、妙なことをいった。机博士は聞きかえしたかったが、ものがいえない。それで一生けんめいに目かくしの隙間《すきま》から、何でもいいから見えるものを見たいと努力した。
 岩かどが見えた。
(あッ、おれは今、崖の端に立っている!)
 机博士は戦慄《せんりつ》した。たいへんだ。足を踏みはずせば、崖下に落ちていって、骨をくだいて人生にさよならを告げなくてはならない。あぶない。「助けてくれ」と博士はさけんだが、もちろん声がでるはずもない。
「今になって、じたばたするんじゃないよ。早いところやってしまうからね」
 猫女が机博士の方へ近づいた。何をするのかしら。その時に彼は、目かくしの隙から、猫女の服の一部を見た。足も見た。スカートは、濃い緑色の服地でできていて、短いスカートだった。その下に長くのびた形のいい脚があった。二本とも揃《そろ》っていた。うすい肌色の長靴下をはいている。そして靴は短靴《たんぐつ》。スポーツ好みの皮とズックでできているあかぬけのした若い婦人向きの靴だった。それだけを一目で見た机博士は、猫女の腰から上が見えないことを残念に思った。
 しかし緑の服、長く逞《たくま》しい二本の脚、肌色の長靴下に、若い婦人向きスポーツ好みの短靴――というところから想像されることもない猫女の人がらだった。彼女のことばつきよりも、ずっと上品な服装ではないか。一体何者であろうか。どんな顔つきの女であろう――と、そこまでを一瞬間に考えたとき、彼の身体はとつぜん「えいッ」と突きとばされた。
(うッ)と、苦悶《くもん》のさけびも声も口のうち。
 彼の足は、すでに崖の端を離れた。宙にうかんだ彼の身体!

 ああ、机博士の生命は風前の灯同様である。死ぬか、この変り者の悪党博士? それとも悪運強く生の断崖《だんがい》にぶら下るか?

   ごったがえす山塞《さんさい》

 二少年は、どうしたろうか。
 机博士の暗室《あんしつ》にもぐりこんでいた春木清と牛丸平太郎は、思いがけなくも博士対首領のすさまじい争闘《そうとう》を見た。机博士が首領にあびせかけたエックス線が、首領の正体をがいこつ[#「がいこつ」に傍点]の小男として、緑色の蛍光幕へうつしだした。その怪奇も見た。そのあとで、はげしい器物の投げ合いで、室内はまっくらとなり、その部屋にとどまっていることは大危険となった。
「この部屋からでようよ」
「うん。今ならでられるやろ」
 春木と牛丸とは、小犬のようになって、すばやく部屋からとびだした。
「あッ。ちょっと待った。しいッ」
 牛丸は、春木よりも一足早く外へでたが、とたんにおどろいて、身を引いた。そしてうしろにつづく春木をおしもどした。彼は、廊下《ろうか》の向こうに人影を認めたからであった。
 その人影は、牛丸がとびだすのと、ほとんど同時に、廊下の角《かど》を曲《まが》ったので、牛丸はその人物のうしろ姿をほんの一瞬間見ただけであった。その人物は背が高く、長いオーバーを着ていたように思った。正確なことは分らない。はっきり見たのはその人物の片方の足だけだった。水色のズボンをはいた長い脛《すね》であった。そしてスポーツごのみの派手な短靴をはいていた。
 スポーツごのみの短靴がはやると見える。そうではないであろうか。
(誰であろう、今向こうへいった人物は?)
 と、牛丸は首をひねった。しかし彼は、その人物を追いかけていくつもりはなかった。向こうへいってくれて結構《けっこう》であると思った。このすきに、早いところ逃げてしまうのだ。
「さあ、走るんや。今のうちなら、地下牢《ちかろう》の方へ引きかえせる」牛丸は春木をうながして、廊下を縫うようにして走った。彼は山塞の地理を研究して知っていた。運もよくて、彼は春木と共に、元の地下牢の方へ走りこむことができた。
 そこには、戸倉老人が待っていた。
 老人は、牢番《ろうばん》の小竹と身体をくっつけ合っていたが、少年たちがはいってきたので、離れた。小竹さんは猿ぐつわをかまされ、手足はぐるぐるまきにされ、椅子にしばりつけられてあった。小竹さんの目だけは自由に動いていた。いつもの睡《ねむ》そうなにぶい光の目ではなく、いきいきとした目つきで、みんなの顔を見ていた。恨《うら》めしそうでもなく、いかりにもえている様子もなかった。
「それじゃ、わしたちはでかける。あとは頼みます。これから毎日、あんたの無事を祈る。短気《たんき》をおこさぬようにな」
 と、戸倉老人は、小竹の肩をかるく叩いて、眼に涙をうかべた。すると小竹は、二三回あごをしゃくってみせた。
「早くゆきなさい」と、いそがせているようだ。これでみると、戸倉老人と小竹との間にはひそかなる了解《りょうかい》があることが明らかだった。小竹がしばられたのも、二人|合意《ごうい》の上のことであるにちがいない。
 そこで戸倉老人につれられ、春木と牛丸の二人は、山塞を逃げだした。どういくと抜け道にでられるか、そのことは戸倉老人がよく知っていた。要所要所の扉をあける鍵もちゃんと持っていた。あける前に、警鈴用《けいれいよう》の電気装置をうまく処分《しょぶん》することも、やはり老人が知っていた。
 それより牛丸少年がおどろいたのは、老人が元気いっぱいだったことである。牢の中でも、首領の前へ呼びだされたときでも、老人は一歩も歩けない重病人《じゅうびょうにん》のように見えた。それは、わざと重病人の風をよそおっていたのにちがいない。
 しかし老人が、いくら巧《たく》みに抜け道から抜け道をたどって逃げたにしろ、わるがしこい四馬剣尺《しばけんじゃく》の張ってある網の目をすべてくぐりぬけることはできないはずだった。だがすばらしい幸運が、老人と二少年とを助け、一度もへまをやらないで山塞の脱出に成功した。その幸運というのは、ちょうどこのとき山塞の中は、机博士事件でごったがえしていて、要所要所の見張りはおろそかになっていたのだ。
 なにしろ、おそろしいでき事だった。
 町まで使いにいって、ちょうど山塞の近くへもどってきた一味《いちみ》の一人が、ふと目をあげたとき、妙なものを見つけた。身体をぐるぐる巻きにされた一人の人間が、崖《がけ》から横にでている電柱のような長い棒の先から吊り下げられ、ぶらんぶらんと揺《ゆ》れているのであった。
「うわッ、あぶねえ」
 その使いの者は、仙場《せんば》の甲二郎《こうじろう》という男であったが、彼はびっくりして胆《きも》をひやし、その場へどすんと尻餅をついたくらいだ。見ていると、ますます人間は揺れ、今にもロープが棒の端からとけ、吊り下げられている奴は崖下へまっさかさまに落ちていきそうだ。甲二郎は、気が落ちつくのを待って立ち上ると、こんどは駆《か》け足でもって、山塞へとびこんだ。そしてこの変事《へんじ》を知らせたのである。もちろん、棒の先に吊り下げられて、ぶらんぶらんしていた人間は、机博士にちがいなかった。猫女の姿は、どこにも見えない。
 甲二郎の知らせで、さっきから机博士の行方《ゆくえ》を探していた団員たちは、それというので、山塞からとびだして、崖の上を見上げた。
「うわははは、たいへんだ。見ちゃおれん」
「たしかに机博士だ。早く下へ網を張れ」
「おい、首領に報告したか」
「知らせたとも。今ここへ、首領もでてくる、といってた」
 こんなさわぎが起っていたから、二少年と戸倉老人の脱出は、あんがい楽に行われたのだ。そしてみんなが網を張れだの、崖の上へいってそっと綱をひいてみろだの、竹ばしごを組んで二人ばかり登って助けろだのとさわいでいる間に三人の脱走者は反対方向の山へまぎれこんでしまっ
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