ならを告げなくてはならない。あぶない。「助けてくれ」と博士はさけんだが、もちろん声がでるはずもない。
「今になって、じたばたするんじゃないよ。早いところやってしまうからね」
 猫女が机博士の方へ近づいた。何をするのかしら。その時に彼は、目かくしの隙から、猫女の服の一部を見た。足も見た。スカートは、濃い緑色の服地でできていて、短いスカートだった。その下に長くのびた形のいい脚があった。二本とも揃《そろ》っていた。うすい肌色の長靴下をはいている。そして靴は短靴《たんぐつ》。スポーツ好みの皮とズックでできているあかぬけのした若い婦人向きの靴だった。それだけを一目で見た机博士は、猫女の腰から上が見えないことを残念に思った。
 しかし緑の服、長く逞《たくま》しい二本の脚、肌色の長靴下に、若い婦人向きスポーツ好みの短靴――というところから想像されることもない猫女の人がらだった。彼女のことばつきよりも、ずっと上品な服装ではないか。一体何者であろうか。どんな顔つきの女であろう――と、そこまでを一瞬間に考えたとき、彼の身体はとつぜん「えいッ」と突きとばされた。
(うッ)と、苦悶《くもん》のさけびも声も口のうち。
 彼の足は、すでに崖の端を離れた。宙にうかんだ彼の身体!

 ああ、机博士の生命は風前の灯同様である。死ぬか、この変り者の悪党博士? それとも悪運強く生の断崖《だんがい》にぶら下るか?

   ごったがえす山塞《さんさい》

 二少年は、どうしたろうか。
 机博士の暗室《あんしつ》にもぐりこんでいた春木清と牛丸平太郎は、思いがけなくも博士対首領のすさまじい争闘《そうとう》を見た。机博士が首領にあびせかけたエックス線が、首領の正体をがいこつ[#「がいこつ」に傍点]の小男として、緑色の蛍光幕へうつしだした。その怪奇も見た。そのあとで、はげしい器物の投げ合いで、室内はまっくらとなり、その部屋にとどまっていることは大危険となった。
「この部屋からでようよ」
「うん。今ならでられるやろ」
 春木と牛丸とは、小犬のようになって、すばやく部屋からとびだした。
「あッ。ちょっと待った。しいッ」
 牛丸は、春木よりも一足早く外へでたが、とたんにおどろいて、身を引いた。そしてうしろにつづく春木をおしもどした。彼は、廊下《ろうか》の向こうに人影を認めたからであった。
 その人影は、牛丸がとびだすのと、ほとんど同時に、廊下の角《かど》を曲《まが》ったので、牛丸はその人物のうしろ姿をほんの一瞬間見ただけであった。その人物は背が高く、長いオーバーを着ていたように思った。正確なことは分らない。はっきり見たのはその人物の片方の足だけだった。水色のズボンをはいた長い脛《すね》であった。そしてスポーツごのみの派手な短靴をはいていた。
 スポーツごのみの短靴がはやると見える。そうではないであろうか。
(誰であろう、今向こうへいった人物は?)
 と、牛丸は首をひねった。しかし彼は、その人物を追いかけていくつもりはなかった。向こうへいってくれて結構《けっこう》であると思った。このすきに、早いところ逃げてしまうのだ。
「さあ、走るんや。今のうちなら、地下牢《ちかろう》の方へ引きかえせる」牛丸は春木をうながして、廊下を縫うようにして走った。彼は山塞の地理を研究して知っていた。運もよくて、彼は春木と共に、元の地下牢の方へ走りこむことができた。
 そこには、戸倉老人が待っていた。
 老人は、牢番《ろうばん》の小竹と身体をくっつけ合っていたが、少年たちがはいってきたので、離れた。小竹さんは猿ぐつわをかまされ、手足はぐるぐるまきにされ、椅子にしばりつけられてあった。小竹さんの目だけは自由に動いていた。いつもの睡《ねむ》そうなにぶい光の目ではなく、いきいきとした目つきで、みんなの顔を見ていた。恨《うら》めしそうでもなく、いかりにもえている様子もなかった。
「それじゃ、わしたちはでかける。あとは頼みます。これから毎日、あんたの無事を祈る。短気《たんき》をおこさぬようにな」
 と、戸倉老人は、小竹の肩をかるく叩いて、眼に涙をうかべた。すると小竹は、二三回あごをしゃくってみせた。
「早くゆきなさい」と、いそがせているようだ。これでみると、戸倉老人と小竹との間にはひそかなる了解《りょうかい》があることが明らかだった。小竹がしばられたのも、二人|合意《ごうい》の上のことであるにちがいない。
 そこで戸倉老人につれられ、春木と牛丸の二人は、山塞を逃げだした。どういくと抜け道にでられるか、そのことは戸倉老人がよく知っていた。要所要所の扉をあける鍵もちゃんと持っていた。あける前に、警鈴用《けいれいよう》の電気装置をうまく処分《しょぶん》することも、やはり老人が知っていた。
 それより牛丸少年がおどろいたのは、
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