何をしているのかい」
アネットは白痴の唖女のように、ただニコニコと笑っているばかりだった。
「ああ閣下」とバラが血相をかえてやってきた。「アネットは試作品ですから、特別の符号でないと通じないのでございますよ。ミルキ語は、彼女にわからないんですよ」
「なんだって、ミルキ語がわからんというのか。それは実に不便だネ」
とは言ったが、いわゆる白痴美というのであろうか、アネットの美しさに閣下はますますひきつけられていった。
そのとき女大臣はこらえかねたように歯をギリギリ噛みあわせると、アネットのそばに足早に近づいた。そして内ぶところに隠し持ったナイフをキラリと抜くや、それを逆手に持ってアネットの心臓の上をめがけてただひと突きとばかり腕をふるったが、このとき遅しかのとき早し、顔色をかえたバラが身を挺してアサリ女史の腕にシッカと飛びついて、わずかにことなきを得た。しかし女史は大暴れである。バラもまたひどく昂奮していた。
「女大臣、何をなさるのですの」
「お前の知ったことではない。わたしの権限で、この人造人間を殺すのだ」
「殺すのはちょっとお待ち下さいまし」
「なにを邪魔するんだい。生きた人間を殺すのはいけないかもしれないけれど、器械で出来た人造人間を殺すことがなぜ悪いんだい。こんな女のできそこないは、見ているのも胸くそが悪い。わたしは権限をもってアネットを殺してしまうのさ」
「いけませんいけません、アネットを殺しては。アネットは作り上げられてから、もう何週間もこの部屋で試作品の世話をして働いていたのです。わたしたちとも言葉をかわして、仲好しになっているのです。本当の人間と変りはないのです。それを殺すなんて、それは――それはあんまりです」
バラはナイフを握る女大臣の手を捕えて、頑とはなさなかった。
「ちょッ。お前さんは女大臣に反抗するんだネ。ようし、もう許して置けないッ」
「でもアサリ大臣、もう一度考え直して頂けません――それにあの、博士が亡くなったのなら、残された人造人間を大事にして置かないと、他の人の手ではもう再び人造人間を作ることができないかもしれないのでございますよ。それはミルキ国にとって最大の損失ですわ」
「最大の損失だなんて、僭越な。ホホホ、察するところお前はこの人造人間を愛しているのだネ」
「……」
女大臣がバラの髪をむずと掴み、腹立ちまぎれに引き倒そうとする様子にミルキ閣下は愕いてついに大喝した。
「待て、アサリ女史。ミルキの名をもって、この人造人間に傷害を加えることを許さぬぞ。人造人間は国のため貴重な研究品だ。わしはいままでに八百億ルクルの金を、この研究のために支払っているぞ、殺しちゃならぬ。ナイフを収めい」
「閣下」とアサリ女史はミルキの胸ぐらを取って、「ご命令には従います。しかし今誓って下さい。この出来損いの人造人間に閣下が人間に対するような言葉をおかけにならぬように」
「うむ。そいつはよくわかっている。わしに何らの他意のないことはお前もよく知っているじゃないか」
そういうと、女大臣はにわかに眼を細くして、おもはゆげに顔を赭らめた。
部屋の隅ではペンがひとりでにがりきっていた。
「なんだ、面白くもない。バラの奴は人造人間を愛してやがるし、女大臣はミルキ閣下と密通していたんだ。それじゃあ俺も遠慮することはなかった。俺と仲のいい靴工ポールの奴は身体を女性に直しやがったが、あれは俺と一緒になりたくてそうしたのにちがいない。よオし、これから行って本気で話をつけてこようや」
9
その翌朝のことだった。
ミルキ閣下と女大臣アサリはお揃いの朝食をとっていた。
女大臣は寝衣《ねまき》を着ていたのに、ミルキ閣下は外出服をつけていた。
「閣下は昨夜ふけて寝床から抜けてゆかれましたね。おかくしになってもだめよ。一体何処へ行ってらしたのです」
「イヤなにちょっと、その……」
「いくらお隠しになっても駄目ですのよ。わたしの部下が、さっき閣下をアリシア区附近でお見かけしたといっていましたよ」
「アリシア区で見かけたというのかい、このわしを」
ミルキ閣下は愕きの目をみはった。
「何のご用があって、わざわざ夜更けに寝床から抜けていらしたのですか」
「何の用って、別に――お前は誤解しているようでいけないよ。昨日もアリシア区を調べてわかったではないか」
「なにがわかったとおっしゃるの」
「ソノつまり、つまりソノ何だ。ええ、昨日アリシア区を調べたが第九室までしか見られなかった。第十室以後は、しいて開けようとすると爆発するという騒ぎだ。しかし第十室以後を見ないというのは、ミルキ国において自分の絶対権力が行われないところもあるという面白くない証拠を残すことになる。それははなはだ残念だからどうにかして中に入りこむ手段はないもの
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