外へ飛び下りた、庭へですよ。そして外からこの硝子戸を元のように閉めた。だからこの硝子戸には、内側にかけ金がありながら、ほらこのようにかけ金が外れているのです。ねえ、木見さんの小父さん。この窓のかけ金は、いつもちゃんとかけてあるんですね」
「そうだ。いつもかけてある。厳重に戸締《とじま》りしてありました」
「すると、その窓を明けて、誰か外へ逃げだしたんだな」
「幽霊が外へ逃げだしたんですか」
「幽霊じゃないですよ。これはかけ金を外すくらいだから、生きている人間ですよ。まだその辺に隠れているかもしれない。皆さん、早く外へでて、見つけて下さい」
 道夫がいった。
「そうだ。皆さん。半数は廊下を通って、庭へでてください。その頃、残りの半分はこの窓から庭へ飛び下りますから」
 隣組の人たちは、まだ事情がはっきり呑《の》みこめないが、とにかく二組にわかれ、一組は廊下から表座敷を通りぬけて庭へ廻った。研究室に残った一組は硝子窓の下に飛びだす機会を待っていた。と、庭の方から叫び声が聞えた。
「いたぞ」
「こら、待てッ」
「逃がすな。皆、こい」
 この声に、研究室にいた一組も、窓を開いて、薄暗い庭へ飛び下りた。そのとき、庭から廻った一組は、松の木の下をもぐって往来へ向かっている気配であった。
 道夫は、一番後から窓を越して庭へ下りた。道夫の手には、携帯電灯が光っていた。それは研究室の雪子の机の上にあったもので、これ幸いと持ってでたのであった。
 往来へでてみると、人々はがやがやいいながら、だんだん戻ってきた。
「暗いものだからね、とうとう見失ってしまった」
「相手が幽霊じゃ、もともとぼんやりしか見えないものですからねえ」
「やっぱり幽霊ですかね。私は、足音を聞いたように思いますよ。幽霊に足音はおかしいですからねえ。かねて幽霊には足がないと聞いていますからねえ」
「いや、私は足音を聞かなかった。そして幽霊を今田さんの塀のところまで追いつめたんだが、とたんに私は足を滑《すべ》らせて、はっとしたんですがね、それでおしまいでした。もう幽霊の姿はどこにも見えなかった」
「この眼鏡は、どなたの眼鏡でしょうか」
 そういって、黒っぽい硝子の入った枠《わく》の重い眼鏡を一同の上に出してみせたのは道夫だった。彼はそれを松の木の下で拾ったのである。
 誰もその眼鏡を、自分のものだとこたえる者はなかった。道夫は、その眼鏡の落し主のことを心の中に問題にしていたが、一同はそんな事を問題にとりあげてはいなかった。そして幽霊か生きている人間かの議論が、いつまでも賑《にぎや》かに続いた。
 道夫はもう一度研究室へ引返したが、そのとき彼は一つの重大なる発見をした。それは部屋の中央の丸|卓子《テーブル》の上に立てて並べてあった雪子学士の研究ノート八冊が紛失していることだった。道夫はあれやこれやを考え合わせ、ある一つの推定を心の中に思いついたのだった。
 彼はもう一度庭にでて、携帯電灯を照らしながら、やわらかい土の上を熱心に探しまわった。そして例の松の木の下へきたとき、
「うわあ、大事な足跡がめちゃめちゃになった」
 と、歎きの声をあげた。
 が、彼はしばらくして何か新発見をしたらしく、ポケットから紐をだして、地上にあてた。そこには一つの大きな新しい足跡がついていた。彼はその寸法を綿密にはかった上で、周囲に木の枝を刺して目印にした。おそらく明日あかるくなったら、その足形を紙の上にうつしとるつもりなのであろう。

   道夫の憤激《ふんげき》

 その翌日、木見邸は係官一行を迎えた。
 研究室や廊下や庭や往来などの現場が隣組総出の説明と共に、一応念入りに調べられた。
 その結果、係官は木見武平を始め一同に対し、さらに気をつけるように命令した上で、
「しかし幽霊説は問題にしませんよ。そういう荒唐無稽《こうとうむけい》なことの捜査は、本庁ではやりませんよ。だから、お嬢さんの失踪先をなお一層探すことと、川北という教師の行方及びその素行調査をすること。この二つの現実なる事件について、できるだけのことをします。あなた方も、今後は気をしずめて、もっと冷静に物を見、そして具体的な証拠をおさえて、報告するようにして下さい」
 と、さとした。
 隣組の中には、この訓戒を納得した者もいたが、また反対に不満に感じた者が少くなかった。係官の口ぶりでは、この隣組の一同が、さも迷信家の集まりであって、この世にありもしない幽霊の幻影を見て、愚かにもさわぎたてているという風に聞えたからである。とにかく係官のこのような態度から推《お》して考えると、係官はあまりこの事件について熱心ではないらしい。
 雪子の両親の失望、隣組の人々の不満、そして道夫の憤激――道夫の憤激は、彼が拾った色眼鏡を係官に示す機会を遂に失ってしまっ
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